聖書と仏教の意味するところ55

聖書のエレミヤ書第49章
主は言われる、わたしは犠牲を高き所にささげ、香をその神にたく
者をモアブのうちに滅ぼす。それゆえわたしの心はモアブのために
笛のように響き、わたしの心はキルへレスの人々のために笛のよう
に響く。彼らの得た富が消えうせたからである。

... コメント
宇宙自然の法則には響きがあって、それは、物質性とは違うように
思います。
仏教でも、お経をお唱えしていて、最初は響いていますが、やがて
無音になり、静けさが訪れます。音にも一つ一つ段階があるのです
ね。その反応は、聞く人の意識にも関係してくるようです。
聖書はこの響きのことも言っているのですね。

(余談ですが、良くお経を聞いて眠くなる人がいますが、それが正
しい反応であれば、その反応は、その人の深層意識にお経が働きか
けているともいえるのです。心を耕しているともいえるのです。正
しく唱えたお経を聞いて、有り難さが出てくると、よく反応してい
るのですね。ただ、その人の心のレベルによって反応は様々なので
一概には言えませんけどね。いずれにしても、この現世の物質欲の
方向ではないように思います。エネルギーの方向ですね。)