聖書と仏教の意味するところ50

聖書のイザヤ書第30章
それゆえ、主は待っていて、
あなたがたに恵みを施される。
... それゆえ。主は立ち上がって、
あなたがたをあわれまれる。
主は公平の神でいらせられる。
すべて主を待ち望む者は幸いである。

コメント
仏教でも、禅宗で仏様のことを、「慈父導師」と表現する時があり
ます。公平で慈愛深いということですね。また、「万徳円満」と表
現することもあります。まさに、いいことも悪いこともそこに認め
られて、悪いことが消滅しながら、円満しているのですね。ここは
、「公平」を勘違いをしたらいけないところですね。聖書はこのこ
とを言っているのでしょうね。現在が楽でも苦しくても、消滅する方にな
らないのがいいのかもしれませんね。
 
(余談ですが、同じ「公平」と言う言葉でも、中身が違ってくるの
ですね。主なる神様や宇宙自然の法則から外れれば、今までの幸せ
も一時的なものに変わり、苦になるのですね。
もともと外れっぱなしなのに、主なる神様や法則を忘れて自我を通
そうとする人が多いのが今の世の中ですけどね。勘違いの上に、自
我を重ね、へ理屈を重ねるので、法則が分からなくなるのですね。
すべてを待ち望む者にならないといけませんね。正しく自立するん
ですね。)