聖書と仏教の意味するところ43
聖書の伝道の書第10章
死んだはえは、香料を造る者のあぶらを臭くし、少しの愚痴は知恵
と誉よりも重い。
智者の心は彼を右に向けさせ、愚者の心は左に向けさせる。
...
コメント
味噌と糞を一緒にするな、ということがありますが、仏教にも、「
似て異なるもの」というのがあります。言葉は同じでも、その中身
の感覚が違うのですね。これは正確に表現すると、法則に従うエネ
ルギーのバランスが違うのですね。
たとえば、生と死は同じ普遍的基盤(空(くう))のエネルギー位
置にあります。でも、死は腐ります(分解されます)が、生は生き
ます。同じ成仏でも違ったりするのですね。
味噌と糞の区別がつきにくい人が増えているのかも。わざとつきに
くくしている人も増えているのかも。聖書はこのことも言っている
のでしょうね。
(余談ですが、「空気を読む」と言われますが、その前に宇宙自然
の道理を読め、法則を読め、と言いたいのは、私だけでしょうか。
今の世の中は、自分が可愛いだけで色々言う人もいますが、そうい
う分かりやすい人よりも、自分を捨てて耐えて頑張って、飛べると
思ったら、命の法則をなくして、死んだはえになるのでは、情けな
いですよね。でも、もとがうじ虫だと仕方ないのかなぁ。)
聖書の伝道の書第10章
死んだはえは、香料を造る者のあぶらを臭くし、少しの愚痴は知恵
と誉よりも重い。
智者の心は彼を右に向けさせ、愚者の心は左に向けさせる。
...
コメント
味噌と糞を一緒にするな、ということがありますが、仏教にも、「
似て異なるもの」というのがあります。言葉は同じでも、その中身
の感覚が違うのですね。これは正確に表現すると、法則に従うエネ
ルギーのバランスが違うのですね。
たとえば、生と死は同じ普遍的基盤(空(くう))のエネルギー位
置にあります。でも、死は腐ります(分解されます)が、生は生き
ます。同じ成仏でも違ったりするのですね。
味噌と糞の区別がつきにくい人が増えているのかも。わざとつきに
くくしている人も増えているのかも。聖書はこのことも言っている
のでしょうね。
(余談ですが、「空気を読む」と言われますが、その前に宇宙自然
の道理を読め、法則を読め、と言いたいのは、私だけでしょうか。
今の世の中は、自分が可愛いだけで色々言う人もいますが、そうい
う分かりやすい人よりも、自分を捨てて耐えて頑張って、飛べると
思ったら、命の法則をなくして、死んだはえになるのでは、情けな
いですよね。でも、もとがうじ虫だと仕方ないのかなぁ。)
追記です。命の法則とは、普遍的基盤が元です。言葉の形
は違っても、中身は同じなのですね。分かって下さいね。
は違っても、中身は同じなのですね。分かって下さいね。