聖書と仏教の意味するところ41

聖書の伝道書第1章
ダビデの子、エルサレムの王である伝道者の言葉。
伝道者は言う、
... 空の空、空の空、一切は空である。
日の下で人が労するすべての苦労は、
その身になんの益があるか。
世は去り、世はきたる。
しかし地は永遠に変わらない。
日はいで、日は没し、その出た所に急ぎゆく。
風邪は南に吹き、また転じて、北に向かい、めぐりめぐって、また
そのめぐる所に帰る。
川はみな、海に流れいる、
しかし海は満ちることがない。
川はその出てきた所にまた帰ってゆく。
すべての事は人をうみ疲れさせる、人はこれを言いつくすことが出
来ない。
・・・中略・・・
わたしは心をつくして知恵を知り、また狂気と愚痴とを知ろうとし
たが、これもまた風を風をとらまえるようなものであると知った。

コメント
これは、仏教の般若心経の空の心ですね。虚しさを知り、別な空し
さである「空」を知るのですね。さらに、生々流転の繰り返しの輪
廻という、現実から、法則を知るようになるのですかね。それは信
仰というものを明らかにさせてくれるのでしょうね。聖書も仏教も
行き着くとことは同じですね。

(余談ですが、この伝道の書は全文を読まれた方がいいかもしれま
せんね。人の人生がここの動きとしてよく分かるかもしれません。
あと、般若心経もね。)