聖書と仏教の意味するところ35

聖書のマルコによる福音書第16章
ところが、目をあげて見ると、石はすでにころがしてあった。この
石は非常に大きかった。
墓の中に入ると、右手に真っ白な長い衣を着た若者がすわっている
のを見て、非常に驚いた。するとこの若者は言った、「驚くことは
ない。あなたがたは十字架につけられたナザレ人イエスを探してい
るのでろうが、イエスはよみがえってここにはおられない。ごらん
なさい、ここがお納めした場所である。
...
コメント
仏教でも、お釈迦様は、お悟りになる前に、6年間の苦行をされて
、文字通り身も心もやせ細り、倒れられた。そして、スジャータに
助けられた訳ですが、私はこのとき、お釈迦様は、死あるいは死の
寸前までいかれたのではないかと思います。ここは私見です。
 さて、「生を明らめ、死を明らめ」と、禅宗のお経にありますが
、生と死を身をもって明らかに知ることは、なかなか大変ですね。
聖書はその証拠でもあるのでしょうね。

(余談ですが、よく死んでみなければ、分からないと言いますが、
生き返ってみないと分からないのかもしれませんね。大変だ。)