聖書と仏教の意味するところ34
聖書のネヘミヤ記第9章
われわれに臨んだすべてのことについて、あなたは正しいのです。
あなたは誠実をもって行われたのに、われわれは悪を行ったのです
。
われわれの王たち、つかさたち、祭司たち、先祖たちはあなたの律
法を行わず、あなたがお与えになった命令と戒めとに聞き従いませ
んでした。すなわち彼らはおのれの国におり、あなたが下さった大
きな恵みのうちにおり、またあなたがお与えになった広い肥えた地
におりながら、あなたに仕えず、また自分の悪いわざをやめること
をしませんでした。われわれは今日奴隷です。
...
コメント
この場合の「あなた」と言うのは、主なる神です。勘違いしないで
ください。
さて、仏教でも、空性(主なる神)が、心や行いからなくなった時
に、苦しみが生まれます。この世の恵みが分からなくなるのですね
。感謝がなくなるのかもしれません。こういう人の傾向は、自分が
神だとか、法則だとか、正義だとか、言い始めることが多いようで
す。たまに、本当にそのような人もいるのですが、稀ですね。楽に
なると神様や法則よりも傲慢になって、さらにその美味い汁を吸お
うとして、罪を作るようです。理屈もへ理屈もその表れですね。聖
書はこの事を言っているのでしょうね。
(余談ですが、空性のエネルギーや神の愛が、心のいっぱいになる
と、自由感があります。偉くなったよな気になるんですね。壁もな
くなったよな気になります。それは有り難いことなんですが、その
時に勘違いしやすいのですね。一度、勘違いをすると、エネルギー
が大きいので、頑固で強情です。しかも、痛い目に会うまでは反省
してやりなおそうとはしません。最近は、痛い目にあっても分から
ないようです。ますます悪いことをするようですし、へ理屈な頑固
者も増えているのかもしれません。法則のバランスが分からなくな
っているのでしょうね。でも法則のバランスはなくなることはない
ですから、最後の最後には、生きるコツを身につけられるといいで
すね。それか、消滅するだけですね。ここはある一定の感覚的説明
のいるところですね。)
聖書のネヘミヤ記第9章
われわれに臨んだすべてのことについて、あなたは正しいのです。
あなたは誠実をもって行われたのに、われわれは悪を行ったのです
。
われわれの王たち、つかさたち、祭司たち、先祖たちはあなたの律
法を行わず、あなたがお与えになった命令と戒めとに聞き従いませ
んでした。すなわち彼らはおのれの国におり、あなたが下さった大
きな恵みのうちにおり、またあなたがお与えになった広い肥えた地
におりながら、あなたに仕えず、また自分の悪いわざをやめること
をしませんでした。われわれは今日奴隷です。
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コメント
この場合の「あなた」と言うのは、主なる神です。勘違いしないで
ください。
さて、仏教でも、空性(主なる神)が、心や行いからなくなった時
に、苦しみが生まれます。この世の恵みが分からなくなるのですね
。感謝がなくなるのかもしれません。こういう人の傾向は、自分が
神だとか、法則だとか、正義だとか、言い始めることが多いようで
す。たまに、本当にそのような人もいるのですが、稀ですね。楽に
なると神様や法則よりも傲慢になって、さらにその美味い汁を吸お
うとして、罪を作るようです。理屈もへ理屈もその表れですね。聖
書はこの事を言っているのでしょうね。
(余談ですが、空性のエネルギーや神の愛が、心のいっぱいになる
と、自由感があります。偉くなったよな気になるんですね。壁もな
くなったよな気になります。それは有り難いことなんですが、その
時に勘違いしやすいのですね。一度、勘違いをすると、エネルギー
が大きいので、頑固で強情です。しかも、痛い目に会うまでは反省
してやりなおそうとはしません。最近は、痛い目にあっても分から
ないようです。ますます悪いことをするようですし、へ理屈な頑固
者も増えているのかもしれません。法則のバランスが分からなくな
っているのでしょうね。でも法則のバランスはなくなることはない
ですから、最後の最後には、生きるコツを身につけられるといいで
すね。それか、消滅するだけですね。ここはある一定の感覚的説明
のいるところですね。)