聖書と仏教の意味するところ33

聖書のエレミヤ書第51章
主はその力を持って地を作り、
その知恵を持って世界を建て、
... その悟りを持って天をのべられた。
彼が声を出されると、
天に多くのざわめきがあり、
また地の果てから霧を立ちあがらせられる。
彼は雨のためにいなびかりをおこし、
その倉から風を取りだされる。
すべての人は愚かで知恵がなく、
すべての金細工人はその造った偶像のために恥をこうむる。
その偶像は偽り物で、そのうちに息がないからだ。

コメント
仏教でも、お釈迦様は、宇宙自然の法則や道理を説かれ、天部や涅
槃に行くためのことを諭されています。これも教えですね。そして
、仏教では、宇宙自然の法則や天部へ行くための心の方向を示す方
便として、仏像を祭ったりします。あくまでも、宇宙自然の法則(
知恵)を知るための方便ですね。方便は行き着いたなら捨てなけれ
ばなりません。そこに執着するのは滑稽です。聖書はこの事を言っ
ているのでしょうね。

(余談ですが、方便には開眼ということがされています。お性根を
入れてあるんですね。これは悟った時の意識の波動です。だから、
心の方向性が分かるのですね。道しるべです。感性がないと詳しく
は分かりません。ただ、勘違いなされませんように。)