聖書と仏教の意味するところ26

聖書の詩篇
第135章
主をほめたたえよ、
... 主のみ名をほめたたえよ。
主のしもべたちよ、ほめたたえよ。
主の家に立つ者よ、ほめたたえよ。
主はめぐみふかい、主をほめたたえよ。
主は情け深い、そのみ名をほめ歌え。

第136章
主に感謝せよ、主は恵み深く、そのいつくしみはとこしえに絶える
ことがない。
もろもろの神の神に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶える
ことがない。
もろもろの主の主に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶える
ことがない。
ただ一人大いなるくすしきみわざをなされる者にかんしゃせよ、そ
のいつくしみはとこしえに絶えることがない。

コメント
仏教でも、特に密教では、修法の時の始めに讃(曲のついたお経)
をお唱えします。素晴らしいことに気いてき称えることは、道理な
のですね。また、「朝に報恩、夕に感謝」といいまして、感謝する
ことで、いつくしみ(慈愛)を知ることになるのでしょね。この(
苦しい)世でも慈愛を知ることが出来るのでしょうね。宗教には同
じような行動形式がありますよね。
目的は、真実の真理を知るためでしょうね。現世利益のためだけで
はないのですね。現世利益は副産物ですね。ここを勘違いされない
ようにしないといけませんね。心理的に色々と複雑になりますから
、どの宗教でも迷いますよ。

(余談ですが、占いは、先を知るためにあるのではないですね。今
を知るためにあるんですね。先を知っても、(細かなところで)そ
のようにはなりません。今を知って、自分を知って、その生き方に
、反省と注意を促すためにあるのかもしれません。・・と私は思い
ます。自分を勘違いされませんように。)