聖書と仏教の意味するところ23

聖書のイザヤ書第48章
主は言われた、
「悪い者には平安が無い」と。
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コメント
仏教では、禅宗で「安心(あんじん)」について説かれます。これ
は、心の底から、ほーっと湧きあがってくるような、平安ですね。
日本神道にも、祝詞の中に「平らけく、安らけく」とあります。こ
れは、平安ですね。人間の感覚には、宗教の名前が違っても同じよ
うな感覚がありますね。この平安とは、つかの間の平安とは違いま
す。天国も地獄も知った上での平安です。宇宙自然の法則や空性の
性質、主なる神を知った上での平安ですね。煩悩のそれとは違いま
すね。

(余談ですが、この世の中を生きて、何かを成し遂げようとすると
き、「清濁併せ持つ持つ」ということがありますけど、清と濁を併
せ持って、法則や主なる神を知れば、濁は清められるか消滅してい
くのが、常道ですね。信念とは違いますね。成功のために、さらに
汚れて行くのは、法則を知らない愚か者になりますね。基本的に天
国に行くには、法則に支えられた徳を積むしかないんですね。この
価値観が成就すると世の中が変わるでしょうね。今は、一部を除い
て、へ理屈ばかりで、正しい徳の積み方も分からない世の中でもあ
りますから、苦しと思いますよ。南無阿弥陀仏、そんなところです
かね。)