聖書と仏教の意味するところ22

聖書の使徒行伝第19章
アポロがコリントにいた時、パウロは奥地を通ってエペソに来た。
そして、ある弟子たちに出会って、彼らに「あなたがたは、信仰に
入った時に、聖霊を受けたのか」と尋ねたところ、「いいえ、聖霊
なるものがあることさえ、聞いたことがありません」と答えた。「
では、」誰の名によってバブテスマを受けたのか」と彼がきくと、
彼らは「ヨハネの名によるバブテスマを受けました」と答えた。そ
こで、パウロが言った、ヨハネは悔い改めのバブテスマを授けたが
、それによって、自分の後から来る方に、すなわち、イエスを信じ
るように、人々に勧めたのである」。人々はこれを聞いて、主イエ
スの名によるバブテスマを受けた。

... コメント
仏教にも、密教の中に、潅頂という儀式があります。信仰するのも
の深層意識に、様々な良き意識を知らせるものです。以心伝心とか
、感応同行とか、言われるものと似ているかもしれません。ただ、
意識のコピーのようで、自主性がありますので、ただのコピーとは
違うと思います。バブテスマもそのようなものなのでしょうね。

(余談ですが、色々がんがえますと、言葉で説明することは、限ら
れた範囲にしか、当てはまらなくて、全体の関係が、ごそっと一辺
に分かるのは、なかなか難しいのですね。だから、以心伝心や感応
同行で知らせるのが、分かりやすいのかもしれませんね。そのやり
方が、情報量が言葉よりも多いですから。ただ、受ける方に、受け
る縁、つまり準備が出来てないと上手く伝わらないかもしれません
ね。)