私は、納経所で御朱印を頂き、境内の休憩所に立ち寄った。そこで、地図の説明を読むと、その昔、この寺では、お大師様が降伏の護摩を修法された、と書いてある。私は、「そうかぁー、今朝の風は、菩提心に迷いを起こすような煩悩、情念、悪魔、災いを降伏するためのものであったのかぁ。」と、妙な納得をした。確かに、風を相手に逆転は出来なかったし、進んで行くと、心の空間が澄んで、太陽の光で明るく開けたよね。

 現状を、深く掘り下げた後、単なる理由ずけではなくて、自然法則と共に、こういう感じで、理解できるようになったという事は、私の心も、少しは埋まってきたのかなぁ、と思う。

 再び雨が降り始めたので、私は、そのまま休息所にいた。そこへ、おととい横峰寺で知り合ったばかりの坊さんで、霊伝さんが、お参りに来た。彼は九州からのお参りで、本堂の前に進み出て、朴訥としたご詠歌を大きな声であげていた。

 (苦聖諦)      人のこの世は 長くして 変わらぬ春と思えども はかなき露と なりにけり

 (苦集聖諦)    あつき涙の まごころを みたまの前に ささげつつ 面影しのぶも 悲しかれ

 (苦滅聖諦)    然(しか)はあれども 御仏(みほと)に 救われて行く 身にあれば 

 (苦滅道聖諦) 思いわずらう こともなく とこしえかけて やすらかん 

             南無大師遍照金剛 南無大師遍照金剛

 

小雨の寺に、霧が立ち込め、本堂の古びた木目が、墨絵のようだ。

庭の雑草が力強く見えて、あたりの緑はうるおいに包まれている。

透明なしずくが葉っぱから、ポツンと、この世に落ちる。これが私かも知れない。

素直な[侘び(質素で落ちついた趣)]の風情を、楽しませてもらった。

「おぅ、おぅ。元気だったか。坊さん。」嬉しいではないか。九州の霊伝さんも休息所に来たので、私と彼と二人で、雲辺寺のふもとの村まで、ボチボチと歩いた。・・・つづく。