雨の日は、屋根のある場所を探さなければならない。屋根がないと、テントの中が濡れそうで、心配なのだ。私は、勘を頼りに、歩いていて行く。やがて、神社の休憩所の軒先を見つけた。今日はここにテントを張ろう、と思う。
テントの中で、私は、『逆回りのおばぁさんはどうしたかなぁ。山の方の岩屋寺に向かっているはずだ。「ばばが、三坂峠を超えるときは、いつも雨か雪だ」と言っていた。』と、思い出していた。心が寂しく心配をする。
おばぁさんのように、遍路道での死を覚悟していても、むなしい痛みがあるとき、私は、「人生ってなんだろう」、いつもこう考える。誰かの包容力を真似をしたような言葉は、安くて使いたくないが、どうしても、消えない寂しさが伝わってくる。
何もかも、全て引っ提げて、仏様、神様、永遠の命に祈ることにする。足取りと、体の重いつらい時間が、過ぎて、過ぎて行く。
しかし、やがて、これほど切なくても、「今日は神社に泊まれて、有り難い」という言葉が、口をついて出てくる。祈りよ届けよ。・・・つづく。