第四十三番明石寺(本尊・千手観音・おん ばざら たらま きりく)大師堂(南無大師遍照金剛)をお参りした。
明石寺を出て、私は、次の札所までの九十キロの道のりを、行ける所まで行こうと歩き始める。昼前になって、一休みしようと、私は、道のほとりの自動販売機のそばに荷物を下ろした。ちょうどそこに、車が来て、中の人が声をかけてくる。「明石寺は、どこですか?。」。私は、「そりゃー、行きすぎですよ。」と、言うと、車の中の御夫婦は、「八十八か所をお参りしていて、明石寺への道が分からなくなったんですよ。さっきから、ずーと、ぐるぐる回っているんです。」と、地図を見ていた。
私は、簡単な道ではあると思うのだが、これがまた、うまく説明できないので、話をして、車に同乗させてもい、道案内をすることにした。一路、明石寺に引き返した。
私は、明石寺から、ずいぶん歩いたつもりだったが、車だと十五分もかからなかった。なので、もう一度、御夫婦と一緒に、
第四十三番明石寺(本尊・千手観音・おん ばざら たらま きりく)大師堂(南無大師遍照金剛)をお参りした。
それから、次の札所へも、乗せてもらうことになる。御夫婦は、ワゴンの車の後ろに、布団を積んでいて、そこで寝泊りされているみたいだった。四国の方で、農閑期に二・三日づつ、お参りされているらしい。私は、その布団を隅の方に畳んでもらって、そのスペースに、同乗させてもらった。
第四十四番大宝寺(本尊・十一面観音・おん まか きゃろにきゃ そわか) 大師堂(南無大師遍照金剛)を素早くお参りして、ふたたび同乗させてもらい、
第四十五番岩屋寺(本尊・不動明王・のうまくさんまんだ ばざらだん せんだん まかろしゃだ そわたや うんたらた かんまん)大師堂(南無大師遍照金剛)も素早くお参りする。御夫婦は、なぜか手を合わせるだけなので、私は、一生懸命、般若心経を素早くお唱えして、お参りしたことにした。数分で終わるのだから、私のお経を聞いてもいいと思うのだが、あの人たちはペースを崩さなかった。私が感じるに、御夫婦は、お参りと言うよりは、御朱印のハンコをもらって歩いているような仕草だった。私は、結局、夕方になるまで同乗させてもらい、次の四十六番さんの近くで下してもらった。車に百キロ以上乗っていたことになる。
かつての奉仕の一部が、(私は、しょうもない坊さんたちへの奉仕だったと思っているのだが)今帰ってきたのだろうか?。・・・と言うよりは、自分が、精神的、物質的にぎりぎりになると、そういうものが返ってくるのかもしれないなと思う。たとえ、奉仕をした相手がなまくらでも、片一方には反応がでるのだろう。そういう仕組みだと思う。でも、もう少しゆっくりお参りしたかったなぁ。反応も、なまくらだったんだろうな、きっと。やれやれ、明日は頑張ろう。・・・そう思えるだけまだましかぁ。・・・つづく。