(遅くなっ申し訳ありません。用事があったもんで。今から少し書きます。ごめんなさい。)
仰向けに寝ていると、考えは色々浮かんでくる。今日の事、昨日のこと、むかしの事、色々の事、考え込むような事、恨み、幸せ、好きな事、嫌いな事、そのどちらでもない事、もろもろの事、寝ているときに夢を見ているような感じかも知れない。しかし、トイレなどの生理的欲望以外で、動く事はなかった。つまり、あらゆる欲望で行動することを、しなかった。
そして、座禅のように、瞑想のように、して座った。お釈迦さまのように、菩提樹の木の下で、死ぬまで動かん、というふうに、座り続けることは出来なかったが、疲れるまでは座ってみた。少し満足して眠りにつく。
私は、人間の神経系と心は、結構、柔軟に出来ていて、神の救いかも知れないと思った。
この世の中に、苦というものがあるのなら、矛盾という壁があるのなら、へ理屈ではない心の柔らかさは、救いであり、それを持つように造られた人間の半分は、救われると思う。ただ、これに現実は、付いてくるのだろうか?。
世間の人々の理解は、各々の意識範囲の広さと、心の深さによって、まちまちだから、答え合わせがどこまで出来るのだろう。もう寝よう。・・・つづく。