私は、有漏という汚れがありながらも、正しい見解を生きてきたと思つている。ただ私の場合、今のこのざまは、潰されているのと同じだ。ヨガでは、今の時代をカリユガの時代といい、不(自然)法がはびこり、闇の時代と言っている。キリスト教の聖書にも、悪が支配していると書いてあった。正しい見解が、人の深層意識で分からないような時代なわけだから、先が見えなくなるのは、私だけではないだろうと思う。笑わば笑えだ。そんな訳で、私は、いつのごろからか、闇にしても悪にしても、生命エネルギーの絶望的な不足なんだなぁ、と考えるようになった。

 また、一つの見方として、有漏とは、深層意識が、まだ活性化されていない部分だ、と私は考える。さらに、活性化とは、極めて簡単に言うと、深層意識が、表面意識に登ってきて、人が、心の深いところに気づくという事だ。これは、普通の生活で起こっていて、当り前の事なんだけど、かなりエネルギーがいる。ちなみに、行者や修行僧などの場合は、活性化や浄化がかなり激しいと思う。

 さて、今日も、聖なる正しい精神統一を求めて歩きだすか。

 朝の七時ごろ、雨がやんだのを確認して、いつものように瞑想をして出発する。そう言えば、昨日の夜は、テントから十五メートル位の距離で、イノシシかクマが、動いていたなぁ。テントの中には、食パンがあったので危なかったかもしれない。

 私は、峠の山道を、登って下って、長い橋を渡り、

第三十六番青龍寺(本尊・波切不動明王・のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うん たらた かんまん)大師堂(南無大師編序金剛)をお参りする。

 その後、受付でご朱印を頂く。受付を出て、地図を見ると、次の札所までは六十キロ以上も、距離がある。小さな本の地図を見て、よく考えて、勘を頼りに歩きだす。きっと、スカイラインの方が近いと思っていた。…つづく。