お婆さんの皺の中の眼が少し潤む。私が、
「良かったね。」と言うと、お婆さんは、
「願いがかなったんで、八十八か所へお参りに出ることにしたんですよ。」と、含みを持たせて言う。私は、彼女が、『病気を抱えていても、祈って歩いて、死んでいける。』そんな道を決心したんだと思った。私が、
「家族の人はなんて?。」と聞くと、
「そりゃ、もう、反対ですよ。そんな体でどうするって。でもね、こんな体だから、出ることにしたんですよ。」と言う。私は、遍路の道は、よくよくのことの道だと思う。彼女が、
「家族には、願かけを破る訳にはいかないから。一番さんだけ、お参りしてくるから。と言って、お金も持たずに出ていったんですよ。」と言う。私が、
「ええっ?。」と言うと、
「いや、お金と荷物は先に用意して、途中に隠しておいたんです。」と言う。たぶん、お婆さんは、自分の事も、家族の事も、色々考えてみたのだが、病気を治すと言うよりは、この道が、自分がいなくなっても、一番いいんだと、孤独な判断をしたのだろう、と私は思った。私には、分かる気がするが、でも、それは信仰ではないような気もする。お婆さんは、
「電車に乗ったら、背広を着た人が、話しかけてきて、私が、「お遍路に出るんです。」と言うと、十万円、お接待してくださったんです。当時のお金でですよ。びっくりしましたよ。」・・・・つづく。