シャリ、シャリ、シャリラ。朝早くに錫杖の音がする。行者さんの通り過ぎていく気配だ。私は高野山で加行をしたので、寒いのには慣れているつもりだったが、昨夜も寒かった。今日は、ホカロンを買おう。いつものように瞑想をして、出発する。県道を少し歩いて、

第二十八番大日寺(本尊・大日如来・おん あびらうんけん ばざらだとばん)大師堂(南無大師遍照金剛)をお参りする。それから、田んぼの中の道を通って、

第二十九番国分寺(本尊・千手観音・おん ばざら たらま きりく)大師堂(南無大師遍照金剛)もお参りする。

 私としては、足が痛い割には、以外に歩けるので、少し飛ばせるかもしれないと思っていた。しかし、九時ごろからは、トロトロとしか歩けなかった。朝飯をちゃんと食べていないせいかもしれない。今朝食べたのは、食パンだけだ。人はパンのみに、生きるにあらず、と聖書は言うけど、私はエネルギー切れだ。足も痛い。

 ところが、次の札所に向かうための県道のゆるい坂道を登っていると、なぜか急に歩けるようになって、快調に飛ばした。ウォーキングハイになったと思った。足の痛みもほとんどない。そのままの状態で、

第三十番善楽寺(本尊・阿弥陀如来・おん あみりた ていぜい からうん)大師堂(南無大師遍照金剛)をお参りした。

 しかし、やはり、次に歩きだす時は、痛くて、足を引きずっている。善楽寺を出て、暗くなるまで歩き、午後の六時過ぎに、やっと公園にテントを張った。今日も十二時間歩く。なんだらかんだら言ってもよく歩けるようになったと思う。

 私は、テントの中で、日記をつけるときに、ウォーキングハイ状態が面白いと書いた。

 御真言を繰り返し唱えながら、ひたすら足の痛みを許して、体に力が入らないようにして歩く。すると、なぜか心は痛みに耐えられるようになって、体はただ歩き始める。私はあまり考え事をしなくなる。・・・つづく。