昨夜は、寒いし、色々考えて、あまり寝たような気がしない。結局、結論としては、

「この世をば 夢の光と思えるその日まで 仏と共に歩きつきなん。」終わらせたいのか、消えたいのか、至福に入りたいのか、願いなのか、祈りなのか。行動なのか。

 朝四時に起きて、暗い中を出発する。歩いて、歩いて。今日は、次の札所まで40キロの道のりを歩くことになる。夜明け前で、県道は暗く、私は、時々ではあるが、車に気をつけながら、網代笠で風邪を避けて進む。町中には、所々に明りのついている店がある。私は、働いている人もいるんだぁ、と思う。みそ汁がやけに恋しい。

 トコトコ、トコトコ、九時ごろまでは、快調に飛ばす。やがて、海岸沿いの自転車コースに入った頃、へたばってきて、とぼとぼと歩く。一休みしては、歩き、また一休み。小春日和だった。砂浜の向こうに太平洋の海が空へ続いている。

 陽に包まれて波を聞き 夢思い 歳思う 影一つ。

 老人は、高知の海に生きたのだろう。砂浜の寝そべりチェアーに、横になっている。日光浴が温かそうだ。酒で目が濁った老人もくる。この世の海が、彼らの人生に何を、示したのか。

 私は、その場所を離れ、額の中の油絵でも見ているよな気持になりながら、杖で体を押すようにして進む。色々の思いが、波のように押し寄せて、消えていく。

 [次の札所まであと一キロ]の看板のところに、坂本竜馬の博物館があった。前のめりに倒れた坂本竜馬は、この世を夢の光と見たのだろうか、神仏を拝んだのだろうか。生き切ったのだろうか。愚問だろうか。

 博物館の前に、四国道の休憩所があり、私は、そこにテントを張った。この事(テントを張ること)に関して、誰も文句を言わないだろうと思うようになる。よく歩いたと思う。一日じゅう、御真言を唱える。南無大師遍照金剛。・・・つづく。