一人は、首筋が日焼けしていて、あご骨が力強く、やせ形でコップ酒を握りしめて前かがみに座っている。もう一人は、髪が真っ白で、ふくよかな顔をして、懐の深さを漂わせていた。やせた方の老人が、
「だいたい、六十年以上百姓をやって何があった。戦争で負けて、お上は、米を作れ言うたり、作るな言うたり、ええようにして、先祖の土地は減反で荒れ放題だし、息子は帰ってこんわ、なにがええ。」と言うと、コップ酒から諦めたように力なく手を離した。それを受けて、ふくよかな老人が、
「そりゃー、わしもそう思うが、それでもおてんとうさまがあって、米も野菜も出来たんだけぇ。やっぱり、野菜は、気候がおんなじだけぇ、自分の畑で採れたものが、体に一番ええ。土地は離れられん。」と返すと、やせた老人は、
「だけぇー、そうやって、変な納得をして有耶無耶にするけー、誤魔化されるんじゃ。」日焼けしてやせた老人は、コップを強く握りしめて、グィっと酒を飲んだ。白髪でふくよかな老人は、そのコップがいっぱいになるまで、優しく酒を注いだ。日焼け顔の老人は、
「世の中の価値観も政策も変わってしもうて、わしらーの時代が一番損な気がするようのぉ。」
「若いものがおらんけぇのぉ。村起こしも簡単にゃできんよ。」と、白髪の老人も、酒を口に運んだ。痩せた老人が、
「わしらぁ、バカだけぇ、うまい汁を吸う事も、よう考えつかんし、体を痛めるまで働いて、年とって、なんにもなりゃせん。情けなかろうーが。都会のサラリーマンも分かって乗せられとるだけで同じじゃろうと思うがのぉ。」と言うと、ふくよかな老人は、
「不足をいうてみても、乗せられてみても、もう始まる年でもなかろう。」と言いつつも、自分が頑張らねばと、姿勢を曲げない。
「孫子のためを思うて、働いてきたところもあるんじゃが、悔しいよのぉ。」
「戦争中のように、後で世間に騙されとったと、孫にゃ思わせとうないよのぉ。」と、力が尽きた感じで、ため息をつく。
移り変わりの現生を、どうやって生きる?。と、年をとり、何かに向けて問いながら、お年寄りたちは、御馳走とお酒と拝むところを前に、自分たちの心は、諦めているところもあるが、自身の一生の価値を埋めることが出来ないと、老いをさ迷い、痛んでいる。
『私も、修行はしていても、色々あって、痛んでいるよ』と心で語りかけた。そして、多くの人が痛んでいるんだと思う。
御馳走があって、酒があって、拝むところがある。それでも心に隙間がある。痛んでいる。だったら、他にどんな麻薬が必要ですか。女ですか、男ですか、セックスですか、人の心を買えるほどのお金ですか、遊びで使う薬ですか。
でもね、苦しみと喜びはこの世には必ずあるわけで、どちらでも、生れてから死んでいく間の事、なんですよ。それだからこそ、苦しみながら、一生懸命生きたあなたが欲しいのは、本当の事でしょ。真の理でしょ。絵にかいたようなおざなりの道ではなくて、それを良いとか悪いとか言っているのではなくて、本当の結果が出るまで、燃え尽きずに、湧き上がってくるような真理でしょ。本当のことでしょ。私もそうです。修行中ですが・・・南無大師遍照金剛。南無大師遍照金剛。・・・つづく。