チャリン、チャリン、と誰かが賽銭を入れるような音がして、私は目が覚めた。テントの中で、私の頭の中に、お遍路さんが通り過ぎていくイメージが浮かぶ。そして、昨日の海岸沿いでのお線香のいい匂いは、何だったんだろうと、考え始めた。海に流した本が、数珠と共に香りとなって戻って来たのだろうか?。『そんないい本だったかなぁ。』待てよ、あのときは、流れ的にも現実的にも、私にとって、受け入れがたい状況があった訳で、いい匂いの香りなら、私は、深層意識で、受け入れられていたのかもしれない。そう言えば、昨夜は、小さな砂利の上に、私はテントを張って、寝た訳だが、考えていたよりもかなり寝心地は良かったと思う。濡れた体なのに、柔らかい何かに包まれて、今までで一番寝心地が良かったと思う。砂利の痛さなどは感じなかった。あの柔らかさは、永遠の命の慈愛と言っていいかもしれない。
テントを畳んで、出発して、次の札所に着いたのが、午前十時ごろだった。
第二十四番最御崎寺(本尊・虚空蔵菩薩・のうぼう あきゃしゃ ぎゃらばや おん ありきゃ まりぼり そわか)大師堂(南無大師遍照金剛)をお参りした。
ご朱印を頂く為に、受付に行くと、一人の男性のお遍路さんがいて、私は声をかけた。
「どちらからですか。?」
「広島からです。」
「私も広島です。」なんとなく声をかける気になったのだけれども、珍しいこともあるもんだ、と私は思う。
彼は、定年を迎えて、お四国を分けて廻っていると言う。ジーパン姿にお遍路の白衣を着て、歩くのを楽しんでいるみたいだった。私は、彼の過去のアルコール中毒だった頃の心の寂しさと、アル中詩人?、山頭火の話を聞く。彼も山頭火も曲がりなりにも、座禅を何年もしていた。彼は、
「僕は、ホロっと、手を差し伸べたくなるような山頭火の俳句が好きだなぁ。」と、しみじみ言う。私は、良い悪いは別として、底知れぬ寂しさと真向かいに対座した時にも、人はだれかを愛そうとするのかもしれないと思った。ただその場合、手の届かない架空の人かもしれない。また、その状況で、何かがプラスに変わるまでは、苦しい愛かもしれないね。彼の遍路服は白いところが少し汚れていた。
私は、彼の心が純粋さを感じるがゆえに、現実とのギャップと、悲しみを埋めるためのずるさと、切なさがあったと思う。そして、それらにより彼が起こした行動についての悔みを聞いた。彼は、
「アル中の人も、酒をやめて、座禅するなり、歩くなりしてみたら、心の隙間も埋まるのにのぉー。」と言う。「生きている自分を知ることが出来るのにのぉー。』と言う。ただ、そいうアル中の人たちを、説得して回る気までは、まだないようだ。私は、彼にも架空のものにだけそそぐ愛ではなくて、その愛が溢れて、伸びてくときがあると思うのだが、その時にも、また壁にぶつかる可能性があるとも思う。そいうとき、人は、本当の教えを必要とするのだろう。すべてを一周した時の教えを必要とするのかもしれない。ただそれも、一周していない人には分からないのだろう。
南無大師遍照金剛。・・・・つづく。