理から外れた弱肉強食は、己が身を焼く、猿知恵の火遊び。なんとはなしの悔し紛れに、そんなことを思いながら、弁当を買い、室戸岬に向かって、六十キロの道のりを歩き始めた。私にとってのこの世は、苦しいのだと思う。じゃぁ、どこまで苦しいのかと言うと、死ぬまでだと考えてしまう。それをもっと端的に言えば、このまま息を止めて歩いて進み、死ぬまで歩ければ、その苦しさと同じ量の苦しさだと思う。簡単には出来ないと思うね。まぁ、修行なんてそんなものかもしれない。それでもコツコツ、コツコツ歩いていれば、どうにか生死を越えることになるのだろうか?。

 歩いて、歩いて、どれぐらい進んだ時だったか、道のほとりに、車が待っていてくれて、車の中の運転手さんが、

「乗って行かんかね。」と、誘ってくださった。私は、素直に乗せてもらう。心の中で『六十キロは、大変だ』と、思っていた。彼が、

「お四国は初めてか。」と聞くから、私は、

「はい。」すると、

「そう言えば、二百回歩いて回っている人を知っているよ。鳥取の人だったか、島根の人だったか、ちょっと体の不自由な人でね。」私は聞きなおした。

「二百回。」

「そう。」

「二百回。」

「うん。」私は、沈黙した。彼は体の不自由なことが苦しかったのか、何がそうさせたのか、歩けることが楽しかったのか。苦しいだけ、楽しいだけじゃ、二百回は無理だと思う。

 車の中で、その運転手さんは、私に、指圧の方法を色々教えてくださった。旅の疲れが取れるようにとの思いからだ。

 結局、室戸岬までの距離が三十キロのところまで、乗せて頂いて、少し歩き、疲れていたので、早めにテントを張った。太平洋の波の音が、ドゴー、ドゴー、と、体に響く。今日は、海の自然の音に包まれて寝なさいと言う事かも知れない。満ち潮と引き潮が人の生死に関係していると言うよね。波の音に任せてみよう。

 御大師様、今日は助けてくださってありがとうございます。

 南無大師遍照金剛。一日じゅう御真言を唱える。・・・・つづく。