私が、托鉢をしていると、坊さんが衣姿のまま、大型バイクに乗って、ズドドド、ズドドドとやっていた。その後、テレビカメラとその撮影スタッフ三~四人が通りかかり、なぜか私を撮影している。土産物屋の人と通りすがりの人たちが、立ち止まって少し見ていた。
私は、若い坊さんが、お茶らけて、参拝しているのかと思っていた。バイクの好きな坊さんを、私も知っている。しかし、彼が「はい、はい」と言って、近づいてきたので、私が顔を見ると、その坊さんが七十代から八十代のように思えた。彼は、五百円玉三枚を、私の鉢に入れて、
「わしも、托鉢をしながら、三年間遊行をした。」と、私のお経を遮るような形で、話を始める。私が、
「ありがとうございます。」と言って、黙っていると、老僧は、私の前を動かないで、
「托鉢には、理趣経ではなくて、般若心経を唱えるのがよい。そうしなさい。」私は、
「それが、ある和尚さんに理趣経の事を言われているものですから。ずっと前ですけど。」と言い、謙虚に彼の顔を見ると、彼は身を引くようにして、私の全身を見て、
「うんー、その茶色の靴が良くない。わらじはないのか。」
「持ってないですけど。」
「じゃ、靴を脱いで、裸足で歩け。私もない時はそうした。」親切で言ってくれているようにも思えるのだが、私は、
『困ったなぁ。どうする。』と、言葉を探していると、彼が、
「なに派だ。」
『今は、転派して、菩提派(仮名)です。加行は、高野山で中院流です。』なんでこんなに詳しく答えるんだろう。
「菩提派か。おお、管長は、月見(仮名)さんか。」と、親しそうに言って、自分の価値を押し示す。私が、
「はいそうです。ご存じなんですか。私、管長さんとよく話をさせてもらっていました。知り合いが、その寺に勤めていたもので。」
「・・・・・・・。」彼がおとなしくなった。・・・・つづく。