六キロ強歩き、五時ぎりぎりに、
第十九番立江寺(本尊・延命地蔵菩薩・おん かかかび さんま えい そわか)大師堂(南無大師遍照金剛)をお参りした。
団体参拝の白装束の人たちが、お大師さんの杖に今日一日分の感謝をして、寺の入口におき、宿坊に入っている。・・・白装束は死を意味する。この寺の御本尊は延命地蔵だから、死ぬわけではないのだろうけれども、なんか、あの人たちは、三途の川に向かい、列になって歩いている人の様な感じがする。私は立ち止まって、それを見ていた。
寺の木造の玄関は、歴史を感じさせ、温かそうな明りが、ほのぼのと灯っている。明りの中に、てんぷらや、煮物などの御馳走が思い浮かんで、私は、こういう修行の仕方もあるのかなぁと思いながら、寺を出発する。
すきっぱらを抱えながら県道を歩いて行くと、空き地が見つかり、ススキの間にテントを張った。途中で、食パンを買っておいたので、それにマヨネーズをつけて、食べる。テントの中で、物憂い気分になって、へたばっていると、ぽつ、ぽつ、と雨が降り始めた。
『どこで雨を避けているのかなぁ』、あの犬も、悪心をもつ前の若者の様な目をして、雨や風に打たれて、一食を得て生きている。私も、野良犬のように、諦めと居直りを抱えながら、一食を得て、行きつくところで一泊している。遠くに温かそうな家の明かりが見えている。
こんな時は、雨の音が心にしみてくる。自分はこの旅終えられないのかなぁ。あぁー、うまく生きれなかったよ。
寂しさと孤独の不安が襲う。仕方がないから、じーっとして、寝る。じっーと、じーっと、していると、色々な思いが浮かんでくる。色々な思いが浮かんで、手と足がしびれたようになる。『人は、死んで行くときこんな感じなのかなぁ。』と、テントの隅の一点を見つめている。やがて、痺れが、肉体の感覚を薄れさせていく。しかしそれでも、薄れていく感覚の中で、よい事がなかったこの世界が終る事に、「ほーっ」としている。なんだか分からず、良い事も悪い事も、遠い記憶になってしまう。ほーっ、としていると、自分が妙に意識だけになって、ポツンと広がった感覚になる。ポツンと広がっていると、頭の中に、空中に浮いたような思いが廻り始める。・・・つづく。