食べ物屋なのに、[どん底]なんてつけるのは、きっと、そう言う事があったんだろうな、と思わせる。店が2・3軒ほど軒を並べていた。それらは、弱くても気の知れた仲間たちと生きているという感じだった。絵にかいたような流れの中だから、私としては「入ってみるか。」と思う。そして、一番安いお好み焼きを注文した。私が、

「いやー、ここが開いてて良かったですよ。」と、言ったら、御主人は無愛想だった。安い奴を頼んだからかなぁ、と小さくなって食べていたら、ご飯を一つ、持って来られた。私は、

「えっ?。頼んでないですけど。」すると御主人は、

「あっ、いいよ。もう終わりだから。」と言われる。でも温かいご飯だった。私は、

「今朝から何も食べてなかったんですよ。」と言うと、

「いいよ。言わなくても。」苦労じわの御主人の顔が目をそらしながら、「あんたもか。」、と言ったように思えた。日曜日にこの辺の店が閉まっている事は分かっているみたいだっだし、私は下を向いて黙って食べた。でも、温かさに触れても、もう涙は出てこなかった。

 何か良い人であるがゆえに、弱さでもなく、強さでもなく、訳を聞くでもなく、愚かなところのある人の世の寂しさが繋がって、ご主人が、流しの鍋や食器を、ガチャ、ガチャ、とやけ気味に洗っている、その音と、私は気兼ねしながら話をした。食べ終わって、私は、お好み焼きの分だけお金を払い、

「ありがとうございました。次の寺でお参りさせていただきます。」と言って、店を出た。

 道なりに歩いて行くと、空き地があったので、今日はここにテントを張ることにした。一日中、御真言を唱えた。やっぱり体が痛い。これが柳の下の、一匹目のドジョウですかねぇ、お大師さん。同情してよ。南無大師遍照金剛。・・・つづく。