寝袋の中で、腕時計を見ると朝の五時半だった。起き上がり瞑想をして、テントを畳んで出発する。小さな町の中の方へ歩いて行くと、ほどなく寺の門が見えてきた。重厚な仁王門には、大きな提灯が付いている。そこを通り抜けると、あたりにお線香の香りが漂っていて、お寺の朝の境内は、霊気に満ちている。
第一番霊山寺の本堂(本尊・釈迦如来・のうまく さんまんだ ぼだなん ばく)と大師堂(大師堂は常に、南無大師遍照金剛)で、観音経と般若心経と御真言をお唱えした。
御真言は、本尊の名前と本尊の悟りの意識の波動を表していて、一般的には、仏さまの言葉とされている。人が、御真言を唱えると、その人の意識に応じて、浄化や御利益があると言われている。
普通は、お経をお唱えした後、その印として、納経所でご朱印を頂く。これには300円ぐらいかかる。私が順番待ちで、静かに並んで待っていると、白い遍路服にジーパン姿の四十代のお遍路さんが近付いてきて、黒衣の私に向かって、
「高野山からか?」私は顎を引いて、
「そうではないですけど」
[真言宗なのか?」
「はい。高野山で修行、しました。」
[わしも今日これから高野山に向かう予定だ。これを道中のお守りにしなさい。」と銀色の納め札を私に下さった。銀の納め札は、お四国八十八か所を二十五周以上お参りすると、持てるものだ。私としては心細い中で、仏様に今までの苦労を分かっていただいているようで、その特別扱いが、ちょっと嬉しい。やっぱり、 色々なことがあったので、わがままからではなくて、素直に甘えられる大きな存在が欲しいのかも知れないな、と思う。なんかどこまでも疲れているなぁ。
私に納め札を下さった男性は、今回二十七日間で、お参りで来たと言っている。早いのがいいわけではないが、普通の人は四・五十日は、かかるのが普通だ。彼は人のために何度も廻ったと言う。一日、60キロ以上歩いて、走っているようだっとも言う。彼の顔を見ると、目を見開いて、口をへの字に結んでいるから、そのたくましさに私は、
「おいくつですか?。」
「七十一歳だ。」
「お元気ですねぇー。」気があがっまま、言葉が続かない。四十代だと思っていた。誇らしそうな彼には、仏さまの姿が見えるらしいので、信仰は、究極のアンチエイジングだ、と私はひそかに思う。そう言えば、年の割には若い坊さんがあちこちにいる。そして、最後に彼が、
「最近の坊さんは仏様に食べさせてもらっているくせに、遊んでばかりいて、ちっとも仏さんの言う事を聞かない。あんたも歩いて行くのなら、甘く見たらいかん。」と、自称ではあるが、精進坊主の私に言う。仕方がないので、全ボンクラ坊主を代表するような気になって、元気なかたい声で、
「はい。ありがとうございます。」と言っちまったぁ。どうしてかなぁ?。
納経所を出ると外は明るくなっていた。・・・つづく。