いつも宗教には、生と死もからんでくるのだが、困惑とつまずきも多いと私は思う。

 四国八十八か所の寺の中には、真言宗あり、禅宗あり、天台宗あり、阿弥陀仏あり、権現さん神社ありで、それらが一つの道になっていて、宗教の本質を一般の人に伝えようとしているのかもしれない。そして、私は、それなりに親切ではあっても、いつの間にか一人が定番となって、痛い自分になり、それでも、道を歩こうとしている。でも、流れだからしょうがないかぁ。

 バスが来た。とにかく乗ろう。

 バスの中では、佛眼佛母さんの御真言を心の中で唱え続けた。この通称佛眼さんの御真言は、仏像に魂を入れるときに使うことが多いのだが、特にサトワ(調和)が増えるように私は思う。今の時代は、家族でいても孤立感が増しているようだし、私も一人。せめて、未来にサトワ(大調和)を残したいと思った。自分も人も心が埋まってほしいと思う。ただ、ただ、白くなりたいのかもしれない。・・・喜びはないのかなぁ。

 一人であっても孤立ではなく、単立であってほしいし、矛盾と泥の多い現世であっても、真実を生き生きと祈りたい。南無大師遍照金剛。今が始まり。・・・つづく。