あさ八時に戸締まりをして、阿弥陀山の私の寺の眞樂寺を出発する。曇っていても、秋の紅葉がとても綺麗だ。これから、バス停までは、リュックを背負って、八キロ歩くことになる。
思うに、私が、この山に来た時、本当の楽に入りたくて、心に浮かんだのが、心楽寺だった。心の楽と言っても、心ころころ変わるもので、それはそれで必要なことなのだけれども、へ理屈感情についていけないところがあると思い、仏の心、つまり、菩提心に繋がるところの楽、という意味で、眞樂寺と寺の名前を付けることにしたのだ。・・・疲れていたのだと思う。
そのせいか、やっぱり、背中の荷物が重い。それで、私は、郵便局の人と知り合いだったので、局の人に頼んで、眞樂寺に、カッパやマフラーなどの荷物を送った。何なんだろう、早くも予定どうりにはいかない。思いが空回りをしているのか、どん詰まり感のせいか・・・。なんだかんだ言っても、私は、今まで、自分では、それなりにスムーズにやってきていたつもりだったので、やっぱり、今回は不安がよぎる。
言葉巧みに利用されるだけの正義も
心を支えることのできない道徳も
意図をはき違えている愛も
深く、深く、沈んで行く為の、こころの・お・も・り
本当の自由に導く為の、心の重り。
バス停について、寺に帰れないことも覚悟して、眞樂寺に向かって、合掌をした。・・・つづく。