阿弥陀山は、標高750mぐらいあって、別荘地になている。夏は涼しいが冬は雪が降る。私は行をするためだけに、二軒二軒のお堂と、二軒四軒の庫裏を立てた。私としては、どん詰まりの中で、最後の力を振り絞って建てたという感じだ。かつて経験したのだが、「生きるに生きれず、死ぬに死ねず」というぐらいなら、まだましだったかも知れないと思えてた。

 前の寺では、私は、その寺の信者さんに、これでも結構人気があったように思う。それなりに彼らにとってのご利益があったんだと思う。よくそういう話をよく聞かされた。その点において、私は前の寺の信者さんに心苦しい感がある。さらに、安い給料だったが、それもなくなるし、馬鹿な奴と言われても仕方がないのかもしれない。その上、進む力さえも押さえつけられたように潰されれば、どうにも参ってしまう。そんな時だった。四国八十八か所をお参りしようと思ったのは。そのころ、歩くのに意味があるとは思っていなかったように思う。ただ、気持ちが『お四国をお参りしよう』と、流れるので、そのままに出かけることにした。・・・つづく。