平成八年十一月一日金曜日
しとしとと、優しく降るのだが、生き場のないような雨が降る。
思いつくままに荷物をまとめて見る。
なるべく少なくしたい。
やっぱり大変な旅になると思う。
ついこの前まで、私は町の大きな寺に勤めていた。その寺は、以前の台風で壊滅的な被害を受けていて、その様子を天罰だという人もいたらしい。人手も無くて、みんなが嫌がって、復興もはかどっていない様子だった。
私は、その寺の住職に請われて、復興を手伝いながら、修行するということで、その寺に努めることになった。
三年余りの月日が流れて、寺の復興も一段落したごろ、形としては自ら辞めることになってしまった。私は、その寺のやり方をいいとは思ってなくて、少ししか変えられず、やがて摩擦は大きくなり、病気にもなり、数日間だけど入院する羽目にもなった。
それでも、私は何とか最後までやろうと考えあぐねていた。そのころ、訳あって、私は副住職に一般的な常識の話をしたら、住職、副住職が、うまい汁を吸えないものだから、私に「やめろ」と言われた。ただ、それでも、寺は、一般常識の枠の外にある時があるので、私は我慢をして頭を下げた。行くところもなかった。みんなが嫌がっていたところで、散々こき使っておいて、この仕打ちかとも思うが、諦めて、我慢した。しかし、さらに無理を押しつけてくるのである。なので、私の我慢も三カ月が限界だった。行くあてもないのに寺を出る事にする。一人でも行が出来るのなら、それでもいいし、のたれ死んでもいいとも覚悟もしていた。そして、阿弥陀山に流れ着いた。・・・つづく。