『しのゼミ』 -10ページ目

『しのゼミ』

日常で出会った「気付き・笑い・学び」を綴っています

いきなり彼女が自分の部屋に訪れて来たのは,
秘書さんと話をしている最中だった。

彼女は,
「お話し中に誠にすみません」的に,
自分の部屋の前に遠慮がちに立っていた。

えーっと何でしたでございましょうーか?

秘書さんとの話を切り上げて,
見知らぬ来客に応対する自分。

よ~く見ると,
その訪問者は誰かに似ている。

そのポワ~ンっとした雰囲気,
そしてあのモッチャリとした感じ。

それはあのELTの持田さんだ。

芸能情報など,
アメーバニュースと年末の紅白くらいしか供給源が無い自分でも,
持田さんくらいは知っている。

少し違和感を感じるとすると,
サイズの少し大きめな,
ゴワゴワした白衣を着ていることだけだ。



「・・・ということで,よろしくお願いいたします」

「こちらこそ,よろしく」

説明してくれたところによれば,
その彼女の正体は,
隣の検査部の講座所属の新秘書さんらしい。

8月頭から仕事を始めており,
少し落ち着いたので挨拶に来たとのこと。

「あっ,こちらはウチの秘書さんです」

「病理部の○○です」

「検査部の△△です,よろしくお願いします」

技師さんの何人かが検査部と病理部を兼務していることもあるので,
いろいろとお世話になることがあるだろう。

それにしても・・・検査部もELTとはなかなかやるのぅ。



訪問者が去るや否や,
正直な感想を漏らす自分。

「あの新らしい秘書さんって,持田さんに似てない?」

「えーっと・・・持田さんって?」

「ELTのボーカルの」

「はぁ・・・そうですか?」

「顔や髪型もそうやし,雰囲気もなんとなく,なぁ?」

「はぁ・・・そうかもしれません」



自分の意見にあまり賛同してくれず,
イマイチ乗りの悪いウチの秘書さん。

どうもヘンだと思っていると,
「すいません,私,誰にも似てなくって・・・」
という一言を残して自分の部屋を去っていく。

ついでに,引きつり気味の笑顔も浮かべながら。

うっ・・・・・

どこか触れていけないことに触れてしまったらしい。
長女ちー(小6)の勉強が大変だ。

おにーちゃんみたいに中学受験したい,まぁそれもよかろう・・・という話になり,受験を志したのは良しとしよう。

しかし,実際の勉強が捗らない。

ちーは特に理科と算数が苦手。

まぁ理科はなんとかなるが,算数が分からんのは致命的やぞ,それは困ったどうしよう,塾はイヤや言うてるし,じゃあアンタが教えればええやん・・・という話になって,この夏休みはちーの勉強を見るハメになっている。



たかが小学校の算数・・・と侮るなかれ。

けっこう難しいし,情けないことに大人の自分でも解けない問題がある。

それに,昔の人間には聞き慣れない旅人算とかツルカメ算とかがある。

ちー的にはすべてが苦手らしいんだが,先日にやった売買算は特にダメなようだ。

「・・・え~,仕入れ値が○○円で,え~,それに2割の利益を付けると定価が△△円になるやろ,こっから200円引きで売ると利益はいくらや?」

「うーん分からんけど・・・△□円?」

「ちゃーうやろ,定価から200円引くから□□円やろーが,こんなことも分からんのか?」

「・・・ゼンゼン分からん・・・」

ちーの場合,問題が解けない理由として,単純に単語の意味が分からないというのがあるようだ。

そもそも,大人たちには常識的な言葉である「仕入れ値」やら「割引」が,あまり説明されずに出てくるもんだから,戸惑うのかもしれん。

しかも,それを説明しようとすると,利益を「見込んで」とか「値引いて」などという更に特殊な単語を使ってしまうので,益々ちんぷんかんぷんになるんじゃなかろうか?



そんな教育技術論を考えつつ,「利益」を「儲け」あるいは「値引く」を「まける」などと言い換えつつ,なるべくやさしい単語を使って説明してやる。

「・・・元々の値段が○○円なんやけど,それに2割の儲けを付けて△△円で売るとして,こっから200円まけるとどんだけ得になる?」

「たぶん・・・□△円?」

「そーやろそーやろ・・・・・これで分かったな?」

「・・・まだちょっと分からん・・・」

「どこが?」

「儲けたりまけたり・・・なんでこんなメンドくさっな計算しなアカンのとか・・・」

「あのな,ちー・・・そういう計算せんと,みんな生活できんやろ?」

「・・・・・」

「あーもーヤメヤメ,今日は終わりや」



そもそも,なんで仕入れ値に利益をつけて定価を決めるなどという面倒なことするのか?っちゅー,経済の基本原則に対して疑問があるようで,なんだか教えててバカバカしくなる。

親子ともども,前途多難だ。


先日の研究会後の懇親会二次会で,某エライ先生と同席した。

その大先生とは,これまでに一度もお近づきになる機会が無かった。

ごく稀に接点があったとすると,自分の発表に対してあれやこれやとコメントをして頂けるだけという「遠い」間柄。

しかし,それはいたしかたないかもしれない。

普段のその大先生は,話しかけるのも躊躇われるようなオーラを発している。

「若いモンが,何ホザいてんねん!」と,いつも顔が語っている。

そんな近づき難い雰囲気に満ちた先生だ。

簡単に言えば,いつまでも尖がり続ける頑固爺か?



お酒の勢いを借りて,恐る恐る話しかけてみる。

しかし,つまらない自分の世間話には,あまり乗ってこない。

ならばと,先程の研究会での話題に触れてみる。

「・・・○×の発表はおもしろかったですね」

すると,途端に会話が弾みだす。

「あの発表は違うな~」

「そーっすか」

「大体,あんなこと20年前から分かってんねん」

「へぇ~」

「そもそも○○は△△ってのは,先代の。。。教授が言ってるし・・・」

「ほーっ」

「△△が□□なのは,×大の===先生が言いだしたんや!」

「ふ~ん」

大先生のお話は,手付かずのお花畑を探し当てた蝶の如く,あちこち飛んでいく。

疾患の診断という極めてクローズな話題にもかかわらず,よくもまああれだけのネタがあるもんだ。

簡単に言えば,マジメなる両津勘吉?



経験症例の豊富さと,組織像を読み取る正確さと,蓄積された知識の奥深さ。

伺ったお話から披歴された大先生のディテールは,仕事に対する並々ならぬ情熱を示している。

それらの根底には,病理医としての誇りを強く感じる。

大先生のお話は続く。

「・・・何で△×があるか,知ってるか?△×ってのは・・・」

「◆△ですよね,あれって・・・」

「待て,オレに言わせろ,◆△っちゅーのはな,・・・」

誰かが話に割って入ろうとするも,大先生は割り込みを許さない。

「じゃあ◆△で大事なのは何か,分かるか?,それは・・・」

「・・・○●っていうのは聞いてますけど・・・」

「黙れ黙れ!オレに最後までしゃべらせろ!」

大先生は,聴衆に対して問いかけを欠かさないが,答えの表出までは期待していない。

まるでツキノワグマが縄張りを徘徊するかのように,お話は進んでいく。

簡単に言えば,取られそうになったマイクを離さないラッシャー木村?



楽しい時間には限りがあり,二次会もお開きになる。

その支払いの段階になって,年輩の先生方で全額払って頂けるという話になる。

研究会世話人から「私どもが出しますので・・・」という申し出があるんだが,その大先生は頑として譲らない。

「後は払っとけ!」と言い残して,一万円札を置いて席を立つ。

そうして,肩を怒らせながら,宿泊ホテルへと颯爽と引き上げていく。

簡単に言えば,まだ生き残っていた勝新太郎?
ここのところの週末は,飲み会が多い。

そろそろいい加減にすべきなのに,決まって午前様だ。

なので,帰りはタクシーになる。

「どこまでで?」

「○○までお願いします」

「あれ?お客さん,以前に乗ってもらったことありますね」

「そうですか?」

「お客さんって,並んでるタクシーに乗るんでしょ?」

・・・・・確かに,そんなコトを言ったのは自分だ。



タクシーに乗る時に,気を付けていることがある。

それは,乗る場所。

昔ならば,とにかく目的地(たとえば実家)方面に向かって歩いたもんだった。

そうして,拾いやすいところでタクシーに乗る。

それによって,少しでもタクシー代金を浮かせようという魂胆だ。

まぁケチくさい話だし,その前にやるべきことがある?ような気がするが・・・・・

っで,目下の心構えと言えば,なるべくタクシー乗り場を利用する。

流しているものや,乗るのに便利なところで待ち構えているタクシーは避ける。



午前0時を過ぎた駅前の繁華街では,あちこちにタクシーが列をなしている。

その列には,正規のタクシー乗り場に並ぶものと,客を拾いやすい場所に自然発生的にできたものがある。

そういった列を離れて,客とすれば乗りやすいんだが,ここに停車させちゃマズイんちゃう?的な場所に停まるタクシーが少数ある。

これって「横入り」なんだろうけど,それをコントロールするものはない。

困ったことに,そういったタクシーの方が利用されやすい気がする。

世間はそれを,商才があるとか要領よしと言うのかもしれない。



以前に利用したタクシー車内で,酔った勢いもあってそんな自説を主張したことがある。

「・・・ボクは,並んでいるタクシーに乗るようにしてるけど,やっぱ横入りはアカンですよね!」

「そーですそーです,○○観光(横入りタクシーの会社名)の奴ら,ダメなんっすよ」

そんな風に,車内では大いに盛り上がったような記憶がある。

今回は,その運転手さんのタクシーを再び利用したようだ。

そしたらこの運転手さん,そんな酔っ払いの戯言を覚えてくれていたらしい。



大したこと無いことなんだろうけど,ちょっとうれしい。



▼ 学生時代,5月病でしばらく大学へ行かなかったことがある。

毎日定刻に家を出るんだが,実は映画館や喫茶店に通っていた。

その時に見た映画の一つに「熱海殺人事件」があった。

仲代達矢扮する刑事が,ショボい人殺しを一流の殺人犯に仕立て上げようという,それはもうハチャメチャな物語。

っで,その主人公が吐いた名言が,

「誰もが人は殺せる,でも殺人犯にはなれない。」

この言葉は耳に残って,いまだに覚えている。

ちなみに,つかワールドの純情さには少しついて行けない部分もあったが,なぜか好きだった。

特に,主人公のやんちゃさが良い。

しかも,飛び抜けてるので,どーしようもなく切ない。



▼ おそらく,いい年をした現代人の半分くらい(以上?)は,潜在的にガンを内在しているものと思われる。

つまり,多くは顕在化していないだけということだ。

もはや,「誰もがガンになる」時代と言っていいのかもしれない。

しかし,ガン患者となると,話はちょっと別だ。

誰もがガンになりうる,でもガン患者にはなれない。

ガン患者になるには,検診だとか自覚症状を期に,医師のもとへ訪れなければならぬ。

そして,そこで検査などを受けなければならぬ。

そこで異常を指摘されて,更なる精密検査の対象にならなければならぬ。

最終的には病理検査にて「ガン」との最終診断がついてはじめて,その患者は「ガン患者」になれる。

そうなれば手術を受けられるし,放射線化学療法の対象患者になることができる。

つまり,ガン患者になることは,実は様々なステップを踏んで成し得ることだ。

一方で,ガンを有しているのにガンの診断に至らないと,「ガンの疑い」患者のままであり,手術等の治療の恩恵に浴することができない。

いずれにしても,それはそれで大変なことになる・・・・・



▼ ふと「誰もが人は殺せる・・・」というフレーズを思い出して,これを病理学の講義に利用してやろうと数年前に思いついた。

そしてそれから,上記を講義でしゃべるようになった。

意味的には少し違った解釈をしているが,まぁそれはご愛嬌だ。

しかし,正直に言えば,昨今の学生にこれを引用してみても,反応してくれるヒトは皆無だ。

いつしか街の本屋でも,「熱海殺人事件」の文庫を見ることは無くなった。



▼ 今日,そのフレーズの発案者が,ガンで逝くという訃報に接した。

もう,あんなやんちゃなフレーズを耳にすることは無いんだろうか?


ありがとう,つかさん,RIP