「善を責むるは朋友の道なり。只だ須らく懇到切至にして以て之に告ぐべし。然らずして,徒らに口舌に資りて,以て責善の名を博せんとせば,渠れ以て徳と為さず,却って以て仇と為さん。益無きなり。」
『善行をなすように責め合う事は朋友として当然なすべきことである。その場合,忠告は懇ろに親切をつくさなければならない。そうせずに,ただ口まかせに忠告し,善を責めたという美名をとるだけのものであれば,その友人は有難いと思わずにかえって仇と思うことであろう。そうなれば,忠告は全く無益のことになってしまう。』
(「言志四録」佐藤一斎著/川上正光訳 講談社学術文庫)
<しの訳>
▼ 忠告されてるか?
多くの場合,忠告から学ぶことは多い。
自分の癖・短所・不足・過剰など,何かしら言い当てている。
しかし最近は,忠告を受けることが少なくなった。
これは何を意味するのだろう。
それだけ人間が完成した?
そうではあるまい。
忠告してもムダだと思われてる?
ひょっとして朋友がいない?
▼ 素直に聞けるか?
たとえ忠告してもらったとしても,それをどう受け止めるかという更なる問題がある。
素直にその忠告を受容できるか?
特に年齢を重ねると,この素直さは失われていく。
えらそうに・・・とか,こっちの立場も考えろ!・・・とか,ならばもう二度と〇〇はやらん!・・・とか,そっちこそどうなんやねん?・・・とか。
忠告を聞いて,真っ先に出てくるのはこれら「反発」。
素直に「ありがとう」とは出てこない。
▼ 朋友以外にも・・・
たとえば後輩のアミ先生。
先輩であるところの自分に対しても,彼女はズケズケとモノを言う。
自分なら自重するのに・・・という内容や場面であっても,そんなに気にしていないようだ。
先日も,自分が行った過去の病理診断について,アミ先生から「忠告」がある。
――― あの~,この病理所見に書いてあるG1ですけど,G2くらいではないでしょうか?
ガンの形態の「悪さ」を表現する「組織学的グレード」というのがあって,そこが違うのでは?というアミ先生。
言われて見直せばG2の部分が確かに多い。
が,G1の部分も一部にはある。
以前に診断した時は,このG1部分がちょっと広めに見えたのだろう。
――― 確かに今見ればG2みたいやけど,まぁこの程度の違いやったらええんちゃう?
G2としようがG1としようが治療には影響しない。
そんな「瑣末」なことなら,あえて言わんでもええやん・・・・・
そんなふうに反駁し,まったく素直になれない自分。
これじゃあ,忠告するヒトが減ってきて当然か。
――― 教えてくれてありがとう。
とりあえず次回は,この言葉を言うことにしよう。