他人の期待に応えない | 家庭を子どものBASEに 佐伯和也公式ブログ

家庭を子どものBASEに 佐伯和也公式ブログ

子どもが思う存分遊ぶ(ゲーム含む)ことで、知的好奇心が育ち、それが勉強にも繋がっていく

いやー、ほんと、人の期待に応えようとすると、ろくなことがないな(笑)

 

人の期待に応えようとする

※この「期待」は大抵妄想

めっちゃがんばる

妄想だから、相手は喜ばない

しかも、自分しんどい

 

 

 

「自分がしんどいだけで、自分含めて、誰も喜ばない」

 

これが

 

「人の期待に応える」

 

っていうことです。

 

 

 

こわっ・・・

 

 

 

でも、この期待が妄想じゃない場合があるじゃない?

 

明確に、人から、

 

「こうしてほしい」

 

って言われる場合。

 

 

 

その「してほしいこと」がやりたいことなら、やってもいいと思う。

 

でも、してほしいことをやらなかったら・・・

 

「その人に嫌われちゃうんじゃないか」

 

「その人が離れていっちゃうんじゃないか」

 

「その人に怒られるんじゃないか」

 

「その人に価値が無いと思われるんじゃないか」

 

そういう気持ちがあるなら、

 

「やらない」

 

ってことやな。

 

 

 

そういう気持ちがあるならば、それは「やりたくないこと」だからね。

 

嫌われるなら嫌われてもいい

 

離れていくなら離れていってもいい

 

怒られるなら怒られてもいい

 

価値が無いと思われるなら思われてもいい

 

 

 

その程度のことで嫌われるなら、それはそれでいいよね。。。笑

 

むしろ、その人のヤバさが先に分かってよかった(笑)

 

 

 

離れていくなら、早めに離れていってもらって、もっと自分に合う人を見つけてくれた方がお互いにいいよね。

 

怒られるなら、ちゃんと喧嘩しよう。

 

価値が無いと思われても、その人が僕の価値を理解できないだけだし、

 

「自分に価値があるかどうか」

 

なんて、

 

「あるに決まってる」

 

んだから、わざわざ考えなくていい。

 

 

 

そもそも、

 

「価値」

 

って他者が決めるものなんだから、自分に対して「価値がある/無い」って言うのはおかしいんよな。

 

 

 

「自分に価値がある/無い」

 

っていうのは、考えても意味無いし、考えた瞬間から

 

「人の期待に応えなきゃ」

 

の土俵に入ってしまう。

 

 

 

価値は、分かる人には分かるし、分からん人には分からん。

 

分からない人に分かってもらおうとするよりも、

 

分かってくれる人を探した方が早いと思うんよな。

 

 

 

やりたいことやって、

 

興味あることを突き詰めて、

 

おもしろいことを楽しんで、

 

人生を謳歌していったら、

 

勝手に価値なんて高まっていく。。。

 

 

 

むしろ、

 

「人の期待に応えない方が価値は高まる」

 

よな・・・笑

 

 

 

うわ、すごいことに気付いた。

 

そうだわ。

 

人の期待に応えない方が、自分の価値は高まっていくんだわ。

 

 

 

そういえば、僕が心理学にハマるキッカケになった「ゆうきゆう」っていう先生がおるんやけど、ゆうきゆう先生も言ってたな。

 

「相手に喜ばれるプレゼントは、一番欲しいものじゃなく、二番目に欲しいものです」

 

って。

 

 

 

一番欲しいものなら、相手の期待通りではあるんだけど、一方で、予想はできてるから、予想通りの喜びしか与えられない。

 

でも、二番目に欲しいものなら、ある意味、期待を裏切ることになる。

 

サプライズ感も相俟って(あいまって)、予想以上の喜びに繋がる。

 

 

 

相手の期待通りに行動をすることは、相手はもうその「欲しいもの」に気付いてるんだから、期待に応えたって、そんなに嬉しくない。

 

相手の期待に応えるのをやめた時、でも、相手は期待に応えてほしいわけやん?

 

それでも、やらない選択をする。

 

 

 

そうすると、相手は、

 

「やってほしい」

 

「期待に応えてほしい」

 

っていう気持ちが高まっていく。

 

 

 

親が、子どもに勉強をしてほしいと思って、

 

子どもが勉強をしない時、親の中で「勉強をしてほしい気持ち」が爆上がりするもんな。

 

そして、子どもの大好きなゲームを制限して、大切なはずの子どもに悲しい気持ちを味わわせてでも、勉強をさせたくなる。

 

あまりにもそれが欲しくなったから、大切なものを売り払ってでも手に入れようとするような。。。

 

 

 

期待に応えなければ、応えないほど、価値は上がっていく。

 

それで離れていく人もいるし、怒り出す人もいるでしょう。

 

嫌う人もいると思うし、罵る人もいるかもしれない。

 

 

 

それでも、期待には応えない。

 

自分がやりたいと思った時にだけやる。

 

 

 

期待に応えるということは、

 

「相手の思い通りになる」

 

ってこと。

 

 

 

思い通りになってるんだから、相手は予想ができてるから、そんなに嬉しくない。

 

子どもが勉強をしても、親は褒めてはくれるかもしれんけど、喜んだり、驚いたりはしない。

 

なんなら、さも当然と言わんばかりに無反応だったりする(笑)

 

 

 

普段、勉強をしない子どもが勉強をするようになった方が、親は喜んでくれる(笑)

 

だから、勉強をして親を喜ばせるなら、子どもは普段、勉強をしない方がいいんだ(笑)

 

 

 

普段、真面目にやってる人は全然評価されないのに、

 

ヤンキーが更生すると、めっちゃ評価されるのと同じだね(笑)

 

 

 

「普段、俺たちの方がちゃんとやってるのに、普段、やってない人が評価されるのはおかしい!」

 

ってなったりする。

 

 

 

あと、イクメンもそうか。

 

普段、育児に参加してない男子が、ちょろっと育児に参加すると評価される。

 

 

 

 

 

普段、期待に応えずにいる方が、価値がものすごく上がるんだな。

 

「期待に応えない」

 

って決めるよりも、

 

「期待に応えるかどうかは、気分次第」

 

ってぐらいにしておいた方が自由度が高い気がするな。

 

 

 

期待に応えることが、自分のやりたいことだった場合、

 

「期待に応えない」

 

ってやることで、自分のやりたいこともできなくなっちゃうもんね。

 

 

 

自分の価値は、他人が決めるもので、

 

自分目線では、「自分の価値」っていう概念そのものが無いし、考えるだけ意味が無い。

 

唯一無二なんだから、自分は自分でしかないんだから。

 

 

 

人の期待には応えない方が、ものすごく自分の価値が上がる。

 

だったら、人の期待に応えないようにしていた方が、ありがたられていいかもしれないな(笑)

 

 

 

 

 

普段、人の期待に応えようとしてた人は、僕のメルマガを読んでみて!

【無料メルマガ】「子どもが自分から勉強を始める親のコミュニケーション」

 

 

人の期待に応えようとするのをやめられるよヽ(´ー`)ノ

 

知らんけど(笑)