ゲーム依存症編が始まりました! | 家庭を子どものBASEに 佐伯和也公式ブログ

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子どもが思う存分遊ぶ(ゲーム含む)ことで、知的好奇心が育ち、それが勉強にも繋がっていく

今、メルマガで連載している、

 

「BASE式ゲーム大全」(BG)

 

で、ゲームの制限編が終わって、ゲーム依存症編が始まりました。

 

 

 

子どものゲームで気になることの1つが、

 

「ゲーム依存症」

 

だと思います。

 

 

 

「子どもがゲーム依存症になるんじゃないか?」

 

って心配をしている声をよく聴きます。

 

 

 

一般的には、ゲーム依存症と言えば、

 

「子どもがゲームのコントロールができない」

 

「ゲームばかりしていて、他の活動をしなくなる」

 

「ゲームばかりして、他の領域に問題が起こっているのにも関わらず、ゲームがやめられない」

 

みたいなことを言われます。

 

 

 

たしかに、分かる。

 

分かるし、客観的に見たら、そうやって問題として取り上げたくなるのも分かる。

 

 

 

分かるんだけど、客観的に定義したものに子どもを当てはめようとすると、子どもの感情が置き去りになっちゃうんだよね。

 

ほんで、子どもの気持ちが無視されて、

 

「ゲームのやりすぎが問題だから、制限をかけよう」

 

みたいな流れになる。

 

 

 

目に見えない部分である「子どもの気持ち」が無視されて、

 

目に見える部分である「子どもの行動」に注目され、コントロールされる。

 

 

 

「子どもの気持ちが無視されている」

 

っていうのはどういうことかと言えば、

 

子どもの自尊心が下がってたり、

 

子どもが反発心を抱えていたり、

 

子どもが欲求を我慢していても、

 

そういうことは考慮されない、っていうこと。

 

 

 

子どもの行動をコントロールするのって、短期的には効果的なように思える。

 

でも、低い自尊心を抱えていると、何をするにしても自信が無いし、何か問題が発生しても、上手く対処できなかったりします。

 

なんでかっていうと、

 

「そういう問題が起こるくらいが、自分にはちょうどいい」

 

って思うから。

 

 

 

反発心を抱えていると、思春期あたりで、子どもは親に対して下克上を起こします。

 

非行に走りやすくなったり、暴力や暴言を振るいやすくなります。

 

 

 

思春期以前は、親の方が権力も腕力も強いから、子どもを抑え込める。

 

でも、思春期を超えて、子どもが頭が回るようになったり、腕力が強くなってくると、親にちゃんと反発できるようになる。

 

その反発は、抑制の期間が長ければ長いほど、激しく表れます。

 

 

 

その結果、

 

「子どもが暴力を振るいまくったり、暴言を吐きまくって、手が付けられなくなる」

 

みたいなことは、決して珍しくありません。

 

 

 

でも、子どもの行動しか見ていなかったら、今度は、

 

「子どもの暴力や暴言を何とかしてやめさせようとする」

 

っていうことをやります。

 

 

 

それも、結局、子どもの気持ちを無視しちゃってるから、余計に子どもの行動は悪化していきます。

 

思春期を超えたら、権力や腕力で子どもを抑え込めないので、

 

「子どもの行動をコントロールする」

 

っていう関わり方自体に限界や欠陥があるんだよね。

 

 

 

子どもが思春期になって、

 

「あれ、もう親よりも、僕の方が(私の方が)強いんじゃね?」

 

ってなったら、武力行使に出て、下克上が起こります。

 

 

 

下克上に失敗したら、いわゆる引きこもりになったり、家に帰ってこなくなったり、自傷行為に出たり、より厄介な事態に発展していきます。

 

これを

 

「親への復讐」

 

って言います。

 

 

 

 

 

ゲームを制限して、子どもが欲求を我慢してしまっていると、親からの制限が外れた時点から欲求が爆発してしまうことがあります。

 

制限をかけている期間が長ければ長いほど、爆発してる期間も長くなります。

 

 

 

小学生の間に「遊びの解放」ができるなら、中学生の間くらいで、ゲームと程よい距離感で付き合えるようになり、自分の将来のために行動を選択できるようになります。

 

ずっと制限をかけてて、子どもが成人して「子育ては終わり」って思って、自然と解放をするとするじゃないですか。

 

 

 

子どもは20年以上も制限かけられてきてるから、

 

「どうやって、自分をコントロールしたらいいか?」

 

が分からないし、欲求も溜まりに溜まってるから、欲求が爆発しても、誰も手が付けられなくなります。

 

 

 

そうなると、もう大人なのに、ゲームが最優先の生活をしたりします。

 

「仕事して得た給料のほとんどをゲーム課金に使う」

 

「ゲームしたくて仕事をしない」

 

みたいなことに繋がったりします。

 

 

 

 

 

ゲーム依存症を心配して、子どもの行動に制約をかけると、子どもの行動をコントロールできたとしても、目に見える部分しかコントロールできていないから、目に見えない部分(感情や心)から、崩壊や暴走が始まります。

 

なので、僕は、

 

「子どもの行動が問題だ」

 

って目に見える部分にフォーカスをするよりも、

 

「子どもはどんな気持ちなのかな?」

 

って目に見えない部分にフォーカスをするのをオススメしています。

 

 

 

例えば、子どもが暴力や暴言を繰り返していても、それらをやめさせようとしない。

 

それよりも、暴力や暴言の合間に、子どもが本心を話したりしているから、その言葉を聞き逃さないようにする。

 

 

 

ほんで、その本心に寄り添って、理解をして、受け止めていく。

 

そしたら、子どもの暴力や暴言は収まっていきます。

 

なんでかっていうと、

 

「暴力や暴言を振るう理由が無くなるから」

 

です。

 

 

 

暴力や暴言に注目をするのではなく、

 

「なぜ、暴力を振るったり、暴言を吐くのか?」

 

「暴力や暴言を使って、何を伝えたいと思っているのか?」

 

みたいなところに注目をします。

 

 

 

こういう関わり方のことを

 

「主観主義」

 

って言います。

 

 

 

一方で、子どもの行動を見て、

 

「ゲーム依存症だ」

 

みたいに判断をする関わり方のことを

 

「客観主義」

 

って言います。

 

 

 

客観主義は、心を無視して、目に見える部分だけ改善しようという考え方。

 

客観主義は、短期的には上手くいくけど、長期的には上手くいかない。

 

 

 

主観主義は、心を重視して、目に見えない部分を整えていこう、という考え方です。

 

主観主義は、時間がかかるけど、長期的に上手くいきます。

 

 

 

客観主義で関わると、再発やリバウンドがしょっちゅう起こります。

 

主観主義は、時間がかかるけど、再発やリバウンドはほとんど起こりません。

 

 

 

 

 

 

 

ゲーム依存症を心配する気持ちは分からんでもないけど、その心配を元にして子どもに関わると、より厄介な事態になっちゃう。

 

なので、ゲーム依存症について、

 

「子どもの心の中で何が起こっているのか?」(=主観主義)

 

をちゃんと理解して、それを元に関わり方を決めていくのがオススメです。

 

 

 

それをメルマガで連載中の「BASE式ゲーム大全」でも、詳細に解説しているので、良かったら読んでみてね。

 

 

 

 

 

 

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