子どもを大切にしている”つもり” | 家庭を子どものBASEに 佐伯和也公式ブログ

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子どもが思う存分遊ぶ(ゲーム含む)ことで、知的好奇心が育ち、それが勉強にも繋がっていく

「コミュニケーションを学ぶ」

 

っていうのは、コミュニケーションのスキルだけを学ぶことじゃない。

 

 

 

感情(心)のことを学び

 

考え方(頭)も学び

 

そして、あり方(体)についても学んでいく。

 

 

 

「コミュニケーションは覚え芸」

 

っていうことをよく言ってるんやけども、やっぱりコミュニケーションは実践してなんぼ。

 

 

 

文章を読んでるだけやと、コミュニケーションを磨いていくのには、どうしても限界はある。

 

「遊びの解放をしてるけど、やり切れていない人」

 

もたくさんいるんよね。

 

頭では分かってるけど、解放し切れてない、って人。

 

 

 

「遊びの解放」って、言ってみれば0か100か、って話で、子どもが

 

「親から遊びを制限されている」

 

って感じていたら、たった1つだけの制限であっても、

 

「遊びを制限している」

 

ってこと。

 

 

 

「遊びの解放」の本質も、

 

「解放をしていること」

 

じゃなくて、

 

「子どもが主体的に考え、判断できていること」

 

やから、子どもが

 

「親から遊びを制限されている」

 

って思えば、それはもう

 

「遊びを制限している」

 

ってことです。

 

 

 

だから、制限を緩めたりしても、あんまり意味が無いんよね。

 

子どもからしたら、

 

「結局、制限してんじゃん」

 

って話やからね。

 

 

 

じゃあ、なんで、親が子どもの遊びを制限しちゃうのか?っていうと、これも突き詰めていくと、

 

「親に、コミュニケーションを学ぶ機会が無かった」

 

っていうところに行き着く。

 

 

 

例えば、コミュニケーションを学び始めた時に、それなりに多くの人がぶち当たる壁が、

 

「相手目線(=子ども目線)に立てない」

 

です。

 

 

 

子どもの行動を観察したり、

 

気持ちを想像したり、

 

考えていることを聴いたりはできる。

 

 

 

でも、それが、

 

親から見えている子ども

 

親が想像した気持ち

 

親が聴いた考え

 

だから、結局、

 

「自分目線(=親目線)に立ってる」

 

んです。

 

 

 

つまり、

 

「親から見た子ども」

 

の目線しかないから、子どもを外側からしか見ていない。

 

 

 

そうすると、何が起こるか?っていうと、客観的に見たことを伝えるから、

 

子どもの気持ちを無視したり、

 

子どもが感じていることを無視したり、

 

子どもが考えていることをまともに取り合わずに、

 

親の考えていることばっかり伝えて、

 

親が感じている気持ちを優先し、

 

親が気持ちよくなったり、安心したりするために、

 

子どもを利用しようとする・・・

 

ってことが起こります。

 

 

 

子ども目線からしたら、

 

「親が話を聴いてくれない」

 

「親が僕の(私の)気持ちを分かってくれない」

 

「親は、僕の(私の)ことなんて、どうだっていいんだ」

 

ってなる。

 

 

 

親は、ちゃんと話を聴いてるし、

 

子どもの気持ちを想像しているし、

 

子どものことを大切にしているのにも関わらず、です。

 

 

 

「親が話を聴いていること」

 

よりも、

 

「子どもが『話を聴いてもらえた』と感じること」

 

が大事。

 

 

 

「親が子どもの気持ちを想像すること」

 

よりも、

 

「子どもが『気持ちを理解してもらえた』と感じること」

 

が大事。

 

 

 

「親が子どもを大切にすること」

 

よりも、

 

「子どもが『大切にされている』と感じること」

 

が大事。

 

 

 

「親が子どもを愛すること」

 

よりも、

 

「子どもが『愛されているな』と感じること」

 

が大事。

 

 

 

「親が何をするのか?」

 

ってのが親目線。

 

 

 

「子どもがどう感じるのか?」

 

ってのが子ども目線。

 

 

 

「コミュニケーションを学ぶ」

 

っていうのは、親目線も大切にしながら、子ども目線も大切にできるようになることです。

 

 

 

親子のコミュニケーションの場合、どうしても、親心が先行しちゃって、親目線がバリバリに強くなっちゃう。

 

ほんで、子どもが置いてけぼりになっちゃうんだよね。

 

 

 

しつけとか、勉強とか、受験とか、学校とか、ゲームとか、Youtubeとか、スマホとか・・・

 

子ども目線でも見れている親が、

 

「遊びを制限する」

 

っていう行動に出るわけがないんだよね。

 

 

 

だってさ、明らかに子どもの幸福度を下げることが明白なのに、制限しちゃうんだから。

 

親自身は、

 

「子どもと話し合った」

 

「子どももいいって言った」

 

とかって言うんだけど、

 

「子どもが自分からやりたいことを制限して、幸せじゃなくなってもいいよ、って言ったことかい?」

 

って話で。

 

 

 

子どものことを考えている”つもり”から抜け出して、

 

子どもが愛情や大切にされていることを感じている。。。

 

そんな関係性を構築するために、

 

「親もコミュニケーションを学ぶ必要がある」

 

って思ってるんよね。

 

 

 

「子どものことを考えているつもり」

 

っていうのは、

 

「親は子どもを大切にしているつもりやけど、子どもは大切にされているとは思っていない」

 

っていう関係性のことね。

 

 

 

コミュニケーションを学んで、

 

「子ども目線に立てるようになる」

 

ってことがすごく大事。

 

 

 

これができないと、いつまで経っても、

 

「子どもは親から愛されていない」

 

って感じちゃって、それが子どもの不適切な行動に繋がっていき、子育てで困ったり、悩んだりするようになる。

 

 

 

たとえ、親が一生懸命、子どもを愛していても、です。

 

 

 

ちなみに、親が子ども目線に立てるようになると、

 

「子どもが”自分の意思で”勉強を始める」

 

「子どもが”自分の意思で”学校に行き始める」

 

「子どもが”自分の意思で”家のことをし始める」

 

みたいなことも起こるようになります。

 

 

 

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