「子育てってどうやればいいんだろう?」
って思って、子育て本を読んだり、セミナーに出たりするやんか。
それで、子どもとのコミュニケーションの取り方とか、考え方を学んだり、知識も増えたりする。
でも、もし、親が自立できていないとしたら、
その学んだことを、子どもをコントロールすることに使っちゃう。
例えば、「子どもに勉強をしてほしい」って思ってるとするやんか。
子育て本を読んで、
「子どもは能力ではなく、努力を誉めるのがいい」
って載ってたとするよね。
それはまぁ、一理あるんやけども、自己否定がバリバリに強い親がそれを知っちゃうと、
「子どもに勉強をさせるために、子どもの努力をめっちゃ褒めるようになる」
んよね。
何とかして、子どもに勉強をしてほしいから。
子どもに勉強をしてもらわないと、自分が保てないから。
一方で、自立ができている親だと、
「自分がやってほしい子どもの行動」
だけじゃなくて、
「子どもがやりたいこと」
に関しても、注目して褒めたりする。
なんでかっていうと、自立ができてるから、子どもが勉強をしなくても自分を保てるのよね。
子どもが勉強をしてもしなくても、子どもが生きてくれてたり、楽しく過ごせてる時点で、十分幸せは感じられてる。
その幸せが前提にあって、勉強をするとさらに人生を楽しめたり、豊かになったり、危険や損失から身を守れるようになることを知ってる。
親が自立できてるのか、それとも、自己否定しちゃうのかで、学んだ後の結果が全然違う。
つまり、
「何を学ぶのか?」
よりも、
「誰が学ぶのか?」
の方がずっと大事だということ。
言い換えれば、
「何のために学ぶのか?(目的)」
がすげー大事なんだよね。
「子どもを褒めて育てる」
みたいな本を読むとしたら、
「それを読んで、何をしようとしてるの?」
ってことね。
色々と学ぼうとしてるのはいいけれど、それよりも、
「親が自立して、自分の人生を生きてるのかな?」
ってことが圧倒的に大事やと思うんよな。
子育てのことを学んだのなら、
「子どもとの関係をより良くするため」
「子どもがより幸せな人生を歩めるようにするため」
に使いたいよね。
「親である自分を認めたり、満足させるため」
に使っちゃうと、それは、子どもの幸せと引き換えになっちゃうから、本末転倒なんよな。
だから、もし、
「学べば学ぶほど、自分が焦ったり、混乱したりしちゃう」
とか、
「色々と学んでいるのに、全然子どもとの関係が良くならない」
とか、
「色々と学んでいるのに、子どもが全然思い通りにならなくて、不満」
とか、
「色々と学んでいるのに、相変わらず、自分は子どもにイライラしちゃう」
とかっていう場合、必要なのは、
「親の自己受容」
ですよ。
学びじゃない。
何か知識を増やすことじゃなくて、
「自己否定をしている自分」
を見つけて、
「いいんだよ~、そんな自分もいいんだよ~」
っていいんだよおじさん(おばさんでも可)を登場させて、どんどん自分を認めていく。
大丈夫だよおじさん(失礼だろ
まずはそっち。
まずは自己受容できてないと、学べば学ぶほどドツボにハマっていって、苦しくなっていく。
僕が、
「子どもに自分から勉強をしてほしいなら、まずは『遊びの解放』だよ」
って言ってるのも、
「勉強をした成果を実感するなら、高い自己肯定感が必要だよ」
ってことだから。
自己肯定感が低いと、脳みその回転も落ちるし、そもそも勉強したことの価値もなかなか感じられない。
それこそ、
「勉強をすればするほど、自分を追い込み、自分を責める材料に使っちゃう」
のよ。
意味わかんないやん?
幸せになるために勉強してるのに、勉強するほど苦しくなっていくのって。
子どもが自己受容できていないなら、その子にはまだ勉強は早いんじゃないかな、って思う。
もっと遊べ、って思う。
もっとふざけていいし、(☝ ՞ਊ ՞)☝ウェーイ、でいい。
もっと楽しもうぜ。
勉強なんて、おもっきし楽しめるようになってからでも十分。
人生楽しくないのに、勉強なんてしてたら、なんも楽しくないで。
人生楽しめるようになったからこそ、勉強をしたら人生の質が爆上がりしていくわけよ。
「子どもが勉強をしてないことで、親が不安になったり、キレたりする」
ってマジで意味分からんのよ。
いや、その気持ちや心の仕組みも理解はしてるよ(笑)
客観的に見て、意味分からんことしてるよね、ってことよ。
例えば、腹筋に巻き付けるだけで勝手に低周波与えて、腹筋鍛えるベルトみたいなんあるやんか?
腹筋ベルト。
腹筋ブルブルバキバキベルト。
こっちはバキバキ童貞です。
それは関係無いやろ!!
ネットのおもちゃにするんじゃない・・・
最近、ハマってるねん笑
今日、子どもが腹筋ベルト巻いてなくてさ、それで親が、
「あんた!今日はなんで腹筋ベルト巻いてへんの!!
このままやと腹筋が6つに割れへんよ!
大人になってから
『お前は腹筋2つにしか割れてへんのか。
お前は腹にケツがついてんのか。
お前の腹はケツだったのか』
って言われてもお母さん知らんからね!!」
ってキレてもさ、
「いや、別にいいし・・・」
ってなるやん?
子どもが勉強をしないことで親がキレてるのって、それくらいのおかしさがあるんよ。
子どもに生きててほしいなら、水と食料と医療だと思うし、
子どもが生活できるようになるなら、勉強より、仕事やん?
何なら、生活できるようになるのを最優先にするなら、生活保護とか、親が働いたお金でご飯を食べさせてあげればいいじゃん、って話なんよ。
「親が子どもを自立させる」
って、もうその時点で、それはもう自立じゃないのよ。
「親が子どもを自立させる」
って、
「ありがとうって言いなさい!」
くらいのおかしさがある(笑)
結局、親がさせてるんだから、それはどういう状態になったって、自立とは言わんよ。
普通に生活をしたり、生きていくだけなら勉強なんていらない。
普通に生活ができてて、生きていけてて、十分に幸せを感じられてる。
それでも、
「もっと人生楽しくしたいなぁ」
「もっと幸せ度を上げたいなぁ」
「もっとおもろいことないんかなぁ」
って思うから、
「勉強」
するわけよね。
やから、勉強って、実はめっちゃ次元の高い話なんよな。
勉強をしなくても死にはしない。
勉強をしなくても幸せに生きていける。
「勉強をしないと不幸になるぞ」
「勉強をしないと生きていけないぞ」
ってのもおかしいし、
「親が子どもに勉強をさせて、子どもが窮屈さや将来に恐怖を感じる」
なんてもう意味不明なんよね。
なんで、親がそんなことをしちゃうのか?っていうと、
「親も自立してないから」
なんよ。
つまり、
「自分の人生がおもんないし、そんなに幸せじゃない」
って思ってるから。
色んな親に話を聞いてると、
「安心と幸せを勘違いしてんだろうな~」
って思ったりしてる。
不安や心配が無い状態を求めてて、それを解消しようとして、子どもに勉強をさせようとしてるんよな。
自己受容ができてないことを子どものせいにして、
「子どもを変えることで、安心しようとしてる」
んよな。
当然、子どもは
「僕の(私の)ことはいいから、親の不安は、親の方で何とかしてくれよ・・・マジで」
って思うから、親の不安をぶつけられたり、勉強をさせられようとしても、バッチリ反発する。
もしくは、一旦従順になって、大人になってから盛大に反抗する。
親の不安や心配は、親自身が自分で解消をする。
自己受容をしていって、自分を受け容れていく。
んで、自立できるようになってきたら、子どもに勉強をさせようなんて思わなくなってくる。
勉強はおもろいし、自分にプラスなんだったら、先に親がしこたま勉強してるはずやん?
だって、親だって幸せに生きたいもんねぇ?
まずは親が幸せに生きようぜ。
子育て本とか、子育てセミナーとかは、それからで十分よ。
全然遅くない。
親が幸せに生きてりゃ、子どももそれを真似して、勝手に幸せに生きるようになる。
勉強とかも、それからで十分よ。
なぜか?
本人の中に動機の無い勉強は、マジで苦痛だから、マジで進まないし、マジで勉強しても何も得るものがない。
やるだけ無駄。
でも、本人の中に動機のある勉強は、マジで楽しいし、どんどん進むし、勉強をすればするほど得るものがあって、どんどん人生に活かされていく。
どんどん勉強していこうぜ!って思う。
親が自己受容できるようになって、幸せに生きられるようになりたいわ~!っていう方はこちら。
幸せに生きるために、怪しい壺を低価格で買えると評判のメルマガです。
嘘です。
ただのメルマガです。
この記事がたしかに!と思ったら、いいね!コメント、シェア、お願いします!
幸せな親子が増えますように!