反抗は成長の証? | 家庭を子どものBASEに 佐伯和也公式ブログ

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子どもが思う存分遊ぶ(ゲーム含む)ことで、知的好奇心が育ち、それが勉強にも繋がっていく

 

 

 
昨日の話の続き。
 

 

 

「反抗は、成長の証」

 

「反抗することで、子どもは自分の世界を構築する」

 

っていうコメントをどっかで見かけたけど、これもよく聞くことやから考えていこうと思う~。

 

 

 

「子どもは、反抗することで成長する」

 

って考えると、

 

「子どもが成長してないということは、反抗をしなかったからだ」

 

ってなるよね。

 

 

 

そしたら、僕もそうなんだけど、

 

「反抗期が無かった」

 

って人がいるわけよ。

 

 

 

反抗期が無かった人たちは、成長していないわけで、子どものままだ、ってことになる。

 

これはどう考えてもおかしいやんか。

 

 

 

ってことは、人は、反抗期があっても無くても成長する。

 

もう少し厳密に言うなら、

 

「反抗期があると成長する」

 

じゃなくて、

 

「反抗期があって、ちゃんと親に反抗ができたら、親の価値観をはねのけて自分の価値観を採用できるようになる」

 

っていうこと。

 

 

 

反抗期があってもなくても成長はする。

 

成長する理由は「反抗期があったから」ではないのだ。

 

 

 

反抗期があっても、親の圧力がそれ以上に強かったり、親に反抗し切れなかったら、反抗期が終わっても結局、親の価値観を生きるようになる。

 

反抗期って、何に反抗してるのかと言えば、

 

「親の価値観や世界観を採用させられようとしていること」

 

に対する反抗です。

 

 

 

「勉強をしなさい」

 

「学校に行きなさい」

 

「宿題を先にしなさい」

 

「人に迷惑をかけないように」

 

「目立ってはいけない」

 

「失敗をすると恥ずかしい」

 

などなど・・・

 

 

 

反抗期は、「成長するため」というよりは、

 

「親から押し付けられた価値観や世界観に対する反抗」

 

なのよ。

 

 

 

だから、反抗期があっても、なくても子どもは成長する。

 

大人になっても中身が子どものままな人って、反抗期があったとか無かったとかとは別の理由でそうなってる。

 

 

 

子どもの成長と、反抗期の有無はあんまり関係無い。

 

 

 

 

 

それから、

 

「反抗期は、子どもの自我が芽生えてきた」

 

「反抗期は、子どもが自分の世界を構築する」

 

っていうのも違う。

 

 

 

明確に言い切っちゃうけど、違う

 

 

 

なんでかっていうと、

 

「反抗期以前に、すでにあるから」

 

です。

 

 

 

子どもをよ~く観察してみてほしいんやけど、子どもは小さい時からすでに自我もあるし、自分の世界も持ってる。

 

その表現は子どもなりの幼さはあるかもしれんけど、すでにある。

 

 

 

子どもがすでに自分の世界を持っているから、

 

「イヤイヤ期」

 

ってのがあるんだよ。

 

 

 

もし、子どもが自分の世界を持っていなかったら、親に対して抵抗はしない。

 

子どもが親に抵抗をする、ってことは、

 

「子どもはすでに自我を持っている」

 

「子どもはすでに自分の世界観を持っている」

 

のよ。

 

 

 

ただ、そのことに親が気付いていないだけ。

 

親が知らなかったり、子どもを観察する目が粗いだけ。

 

 

 

ちゃんとあるのよ。

 

 

 

子どもの世界観って、

 

「何に興味があって、何に興味が無いのか」

 

を見てると分かります。

 

 

 

子どもの世界観が無かったら、あらゆるものに興味を示すか、何も興味を示さないかのどっちかです。

 

でも、子どもは0歳の時点でも、興味を示すものと、示さないものがはっきりしてる。

 

 

 

ある子どもは、人の表情とか、行動をジッと見て観察してる。

 

ある子どもは、車輪をグルグル回すのに夢中になる。

 

ある子どもは、ジッとテレビやスマホの映像を見てる。

 

ある子どもは、自分の身体を動かしたり、自分の身体を観察したりしてる。

 

ある子どもは、人のやることに興味があって、自分もやろうとする。

 

などなど・・・。

 

 

 

そのどれかに1点集中で興味を示すこともあるし、時によって移り変わっていったりする。

 

興味があるものと無いものが子どもによって違うのは、すでに子どもが何らかの世界観を持っていることの何よりの証。

 

 

 

でも、子どもも、親も、誰もまだ分からん。

 

 

 

さっき、

 

「反抗することで、親から押し付けられた価値観や世界観を押し返す」

 

みたいなことを書いたんやけど、自分の世界を明らかにしていくのは、

 

「親の価値観や世界観を跳ね返すこと」

 

じゃなくて、

 

「自分の価値観や世界観を表現していくこと」

 

によってです。

 

 

 

だから、親に反抗するかどうかは、子どもの世界観を明らかにしたり、構築していったりするのに、あんまり関係ない。

 

親が価値観や世界観の押し付けをしてこなかったとしても、子どもが自分の価値観や世界観を表現していくと、少しずつ明らかになっていく。

 

 

 

反抗期があることは、ただの

 

「親が子どもに価値観や世界観を押し付けているというサイン」

 

でしかなくて、子どもの成長や、世界観の構築(=すでにある世界観を明らかにする)にとっては

 

「無くてもいいもの」

 

です。

 

 

 

むしろ、反抗期があると、その期間は、

 

「親の価値観や世界観を跳ね返すこと」

 

にエネルギーを注がないといけないから、その間は、子どもの成長や、世界観の構築は止まる。

 

 

 

親からの押し付けがあるから、自分のことに集中することができないのだ。

 

やから、反抗期が無かったら、子どもはずっと自分のことや、自分の周りのことに集中してられるから、その分だけ自分のことを理解し、成長もしていく。

 

 

 

 

 

 

 

子どもが反抗してくるということは、そこには理不尽さや、論理的な矛盾が含まれてる。

 

もしくは、伝え方がおかしい。

 

 

 

子どもからしたら、

 

「おかしい」

 

わけよね。

 

 

 

そのおかしさは、

 

「子どもの感性が未熟だから、おかしいと感じる」

 

んじゃなくて、本当に、ただ

 

「おかしい」

 

んよ。

 

 

 

親がその理不尽さ(=説明が不十分だったり、矛盾してる)に気付いて、そのことについて考えてみて整理できると、むしろ、

 

「親の成長」

 

に繋がるんよね。

 

 

 

僕ら親が当たり前だと思ってたことだからこそ、子どもに何の疑いもなく押し付けてしまってた。

 

僕ら親からしたら当たり前だと思っていたことが、子どもからしたら当たり前じゃない。

 

 

 

「当たり前じゃない」

 

っていうことは、そのことはまだ一考の余地がある、っていうこと。

 

 

 

子どもから反論や反発を受けて、

 

「そこはまだ詰め切れてへんで」

 

「言ってることは分かるけど、伝え方がおかしい」

 

って言われるわけです。

 

 

 

だから、ここで親が

 

そのまま押し付けを続けたり、

 

子どもを否定したり、叱ったり、

 

をせずに、自分の考え方を深め、伝え方を工夫する方に舵取りをすると、親の方がレベルアップする。

 

 

 

 

ここにも書いたけど、親の役目は、

 

「子どもを育てること」

 

じゃない。

 

 

 

なので、親もどんどん成長していっていい。

 

子ども以上に気付いて、学習して、レベルアップしていったらいい。

 

 

 

反抗期は、

 

「子どもが親の価値観や世界観の押し付けに対して反抗している」

 

っていうことなんやけど、

 

子どもが反抗して、否定して、拒絶してるのに、それでも価値観や世界観の押し付けをやめないのは、どれだけ親は傲慢なの・・・

 

 

別にいいけど笑

 

 

 

子どもが間違ってて、親が正しいわけじゃない。

 

親だって、子どもができた時に親1年生だったはずだ。

 

親だから正しいわけじゃない。

 

親だって間違える。

 

親だっておかしいことやる。

 

親だって失敗する。

 

親だって思い込んでなかなか動けないことがる。

 

 

 

そういうことを自覚して、認めて、OKを出して、それで変わって進化していく柔軟さを子どもに見せつけてやろうぜ。