「子育ては、一人でするもんじゃない」
ってよく言ってるんですけど、特に、
「個人の時代」
と言われる今の時代は、今まで通用していた、
「こうすれば上手くいく」
っていう法則が、子育て・教育に関しては通用しなくなってきています。
しかも、今の時代は、僕らが子どもの頃とは大きく変わってて、
(=大人が子どものことを理解できなくなってきている)
から、なおさら。
だからこそ、
「他の家庭がどんな情報を集めて、どんなことを考えているか」
「他の親が何を考えて、何をしているのか」
を共有していくことが大事かな、と思うのね。
個人の時代の基本戦略は、
「自分らしさをいかに発見して、発揮していくか」
になるんやけど、この
「自分らしさ」
を発見するためには、
「他者との交流」
が必要なのね。
「自分らしさを見つけよう!」
って思って、ずっと一人でこもって、自分と向き合い続けているのでは、実は自分らしさって分からないんです。
僕らは他者の中で生き、他者との関わりによって、
「自分とはどんな人間か」
を決定するから、自分一人だと、自分らしさを見つけることができない。
だから、
「子どもの自分らしさを引き出したい」
って思ったら、子どもが他の子どもや大人と交流する必要があるし、親が、
「自分らしい子育てがしたい!」
って思ったら、他の親や、他の子どもとも交流する必要があるのだ。
例えば、子どものゲームの時間について、
ゲームを禁止してる
ゲームは2時間まで
ゲームを解放してる
っていう3つの家庭があって、それぞれの親が一切相手を否定することなく、メリット・デメリットを話せたら。
そしたら、それぞれの親が、改めて、
「どうして、うちではゲームを禁止しているのか」
「どうして、うちではゲームは2時間までなのか」
「どうして、うちではゲームを解放しているのか」
っていうことを考えられる。
他の家庭の話を聞くと、改めて、
「どうして、自分はそれを選択しているのか」
「どうして、自分はそう考えているのか」
を考えることで、自分自身についての理解が深まる。
これは、ただ単に、
「他者と話をすればいい」
っていうもんでもない。
「うちでは、ゲームを禁止してる。ゲームを解放するなんてあり得ない!」
「うちでは、ゲームを解放してる。ゲームを2時間までにしてるだけだと、解放してることにならないよ!」
みたいに、それぞれの考え方を否定するような「正しさ」を振りかざせる間柄やと、
「相手を否定して、自分の正しさを証明する」
っていうことに忙しくなってしまって、
「改めて、自分のことについて考える」
っていうことが起こりません。
だから、
「他者と交流することで、『自分らしさ』を見つけることができる」
っていうのは、
「その場では、誰も間違っていないし、誰も否定されない」
っていう条件が必要なんです。
みんな違ってみんないいし、みんな正しい。
違った考え方に触れた時に、その考えを否定し、排除しようとするんじゃなくて、
「なるほど、そういう考え方もあるのね!」
って自分を否定することもなく、認めて、受け容れて、学習材料にする。
必要があれば、自分の考え方を変えてもいい。
そういうコミュニティだからこそ、他者の考えや事例を聞かせてもらうことで、自分自身の学びになる。
そして、改めて、
「自分はどうしたいのか」
を落ち着いて考えられるわけです。
「他者の存在が無いと、自分を規定できない」
っていうのは、
「相対」
の考え方やね。
例えば、真っ白な紙に、横向きの車の絵が描いてあったとします。
この車は、前に進んでいるのか、停まっているのか、後退しているのかは、この絵からは分かりません。
僕らは、
「車の奥に書かれている風景の移り変わり方」
によって、車の移動について判断をしているんです。
時間の流れも同じ。
もし、身の回りで何も変化していなかったら、時間がどれくらい経ったかを知る術はありません。
日が昇ったり、食べ物が腐敗したり、生き物が動いてたり、気象が変化したり、自分の身体が変化していったり。
そういう変化を感じて、
「時間が経ってるな」
って実感します。
「相対性理論」
は、時間に関して言えば、
「絶対的な時間は無く、物体の移動速度によって時間が止まってる時に比べて伸びる」
ってな感じで、時間すら相対的です。
これと同じで、僕らは自分自身がどういう人間かを決めたり、知るためには、
「他者との交流」
が必要なんです。
なので、僕は、個人の時代で子育てをしていくなら、
「他の家庭の親と交流しながらの子育て」
が大事だなぁと思っています。
『親のためのコミュニケーション講座 BASE』を作ったのもそういう理由です。
ワンオペ育児とか、誰も味方がいない、誰も本音を話せない子育ては、ほんとに大変やと思います。
でも、仲間がいると日々交流できるし、悩んだり葛藤していることも相談できる。
時には、
「子どもも交えて交流」
したりもできるし、オンラインでずっとゲームする相手がいたら、お留守番もできることがある。
心が軽くなるし、世界も広くなるし、子どもの世界も広くなるのよね。
「遊びの解放」
なんて、できる人はできるけど、今はまだ非常識な考え方やと思うから、
「遊びの解放、いいね!」
って思っても、1人で実践していくのは大変。
だいたい周りに共感してくれる人がおらんからね。
BASEは、「遊びの解放」に共感してる人しか集まらんから、自分がどんだけブレブレでも、話して共感もしてもらえるし、何よりも、
「『遊びの解放』を実践している人が多いから、いつでもそこに戻ってこれる」
んだよね。
もちろん、強制はされない。
よく、
「ダイエットは1人でやるよりも、仲間と一緒にやった方が続くし、結果も出る」
って言われてるんやけど、それは、
「家庭を子どもの『安全基地』にする」
っていうことでも同じ。
自分1人でがんばるよりも、仲間を作って、その仲間と一緒に進めていった方が断然楽。
楽だし、楽しい。
BASE6期もまだ半分ちょっとしか終わってへんけど、かなりいい感じのコミュニティになってきてる。
参加してくれてる人の意識も変わり、子どもを認められたり、自分を大事にすることができてきてる。
そしたら、子育てにおいて、心が楽になっていくんだよね。
そんな感じで、BASEも毎期、一定の効果を上げていると思う。
BASEに入らんでもいいから、子育てをしているなら、
「仲間を見つける」
っていうのは、ぜひ意識してやってみるのがオススメ。
仲間がいるのといないのとでは、子育てのやりやすさが全然違う。
ちなみに、
「仲間」
と、
「ママ友」
は大抵違うものです。
だって、
「ママ友には、本音を話せない~!」
なんて人、多いんでない?
本音を話せないなら、それは仲間とは言えんよね(笑)