ゲームの課金について。
課金の話は、ゲームではなく、お金とか、金銭教育の話で考えてます。
子どもにお金のことをどう教えるのか、どう考えてもらうのか、っていうのはすごく大切で。
「大人になったら、ちゃんと生活できるくらい稼げる人になってほしい」
って願っている親も少なくないはず。
子どものことで、お金が絡んだ話は、親のこの願いに繋がってくるはず。
で、そんな中で、昨今、ゲームが大好きな子も多いから、それにつれてゲーム課金の話も聞きます。
僕の個人的な考えでは、
・ゲーム課金はしなくてもいい
・課金しないと楽しめないゲームは、ゲーセンだけでいい
です。
昨日、親が子どもにお金をあげたり、何かほしい物を買ってあげたりするのは、なんでやろ?って考えてたんです。
子どもが色んな物をねだってきて、買うものもあれば、買わないものもある。
その判断基準が、
・金額
・有用性
・前も買った
・衝動的
など、親によって様々。
子どもが欲しいものを全く買わなかったら、子どもが
「自分のほしいものは決して手に入らない」
「自分のほしいものは苦しまないと手に入らない」
「自分は何も与えてもらえないみじめな人間だ」
「この世界は辛くてしんどいことばかり」
なんてことを学習するかもしれません。
かといって、子どもが欲しいものを片っ端から買ってあげてると、
・その欲求は、衝動的なのか、心から欲しいものなのかが区別できなくなる
・物の価値が分からなくなる
っていうことが起こるかもしれない。
ただ、何でもかんでも買ってあげてると悪いことばかりでもなくて、
「自分の欲しいものは何でも手に入る」
っていうことを学ぶこともあります。
これは、目標達成する時にあると便利な信念です。
なんでかって、
「どうやってもダメだ」
って思ってる子どもと、
「自分が得たい結果は何でも手に入る」
って思ってる子がいたら、後者の方が目標達成はしやすいと思う。
もちろん、そう思ってるだけじゃなくて、行動もせなあかんねんけどね(笑)
でも、子どもの信念がどこにあるのかで、行動は変わってくるから、「何でも手に入る」っていう信念は一概に悪いとは言えない。
あとから「あ!そうか!行動もせなあかんやん!」って気付けばいいだけやから。
なので、わざわざ子どもに苦難や、厳しさを教える必要はなかろう、って思ってる。
あくまでも、
・その「欲しい!」は心からのものなのか、衝動的なものなのかの区別ができること
・物の価値について考えてる
っていうことが大切かなぁ、って思う。
で、子どもにお金のことで学ぶといいんじゃないかなぁ、って思ってるのは、
・豊かさ
です。
この記事では『豊かさ』を
・必要なものを得られていること
・心が満たされるものを得られていること
って考えます。
子どもが心で豊かさを感じてくれているならば、その豊かさは、子どもだけではなく、周りの人にも伝播していくはず。
で、子どもに何か買ってあげたり、お金をあげる基準は、
・子どもがそれで笑顔になるかどうか
・子どもがそれで豊かさを感じるかどうか
・子どもがそれで幸せを感じるかどうか
で判断するといいんじゃないか、っていうのが昨日考えていたこと。
パッと目に付いて「欲しい!」ってなったものは、この3つを満たしにくいんじゃないかな。
欲求のピークは収まるけれど、それは幸せや豊かさを感じるわけじゃない。
単に落ち着くだけ。
そうじゃなくって、子どもが大好きなものをそのタイミングで買ってあげたりすると、子どもは喜んでくれる。
そしたら、心で幸せを感じてくれるでしょう。
大好き!欲しい!
↓
手に入れる
↓
幸せ、嬉しい
を繰り返すことで、子どもは気付かぬうちに豊かさを感じてたりするんじゃないかな。
お金を出すかどうかは親に決定権があるはずで、子どもの「欲しい!」が衝動的なのか、大好きで、心から欲しいものなのか、で見極めていくのもいいかもしれません。
迷ったら、買っても買わなくても、どっちでもいいかもしれません(笑)
で、そう考えると、
「課金しないと満足に遊べないゲーム」
には、課金していない今、子どもがそのゲームで楽しさを感じてるわけがなくて。
勉強量で課金してみたら、本当におもしろいのかどうか、実験してみるのはあり。
でも、「課金しないと満足に遊べないゲーム」が作られた目的は、エンターテイメントじゃなくて「お金」なんです。
「課金しないと満足に遊べないゲーム」
って、スマホゲーム市場やとごまんとあります。
ということは、こういうゲームばかりで遊んでいると、楽しさも味わえるかもしれないけれど、同時にお金も減っていきます。
しかも、お金目当てで作られている以上、こちらを楽しませてくれるのかどうかは、首を傾げちゃう。
これはあくまでも、僕の考えね。
そうじゃない!っていう人もいるかもしれません。
で、ゲームの課金での一番の壁は、
「親が、その課金のメリットが理解しにくい」
っていうこと。
子どもは課金したいという。
ゲームに課金してこなかった親は、その価値は分かんないでしょうし、ゲームすらしてこなかった親からしたら、別の宇宙の出来事?っていうくらい未知のことだと思います。
これも僕の個人的な考えですが、
・子どもが自由に使えるお金の範囲で、課金するのはおっけー
・子どもが親にお金を出して課金をしたいなら、そのメリットや魅力を親が理解できるようにプレゼンする必要がある
です。
ゲームの課金が全て悪だとは思わないんですけど、子どもからしたら、実体があるものよりも、価値はつかみにくいんじゃないかな、って思います。
価値のよく分からんものに、子どもの「欲しい!」っていう気持ちだけで、お金を出すと、そのお金にはややネガティブな気持ちが乗っかります。
それで、子どもが得たものは、興奮のピークを抑えただけになる。
これで子どもがめちゃくちゃ喜んでくれたり、遊び倒したりしてくれると、きっとそれは幸せを感じてると思うけれど、ゲームの課金で入手するのはデータです。
もうちょい正確に言えば、データを利用する権利を購入しています。
課金アイテムとか、課金キャラとか。
課金しないと満足に遊べないとか、勝てない、っていうなら、それはゲームの質が低いだけなんじゃないかなぁ、って思ったりします。
こういうのを「課金ゲー」って言ったりします。
課金しなくても、最後まで遊べるし、プレイヤースキル次第でランキング上位にも食い込める。
それでも、課金して何か手に入れたいものがあるなら、課金の可能性を考える。
例えば、あらかじめ用意されたストーリーがおもしろくて、全部やり切ったあとに別のエピソードが課金対象として用意されてる、とかね。
せっかくお金を使うんだから、そのお金で、子どもが笑顔になり、幸せと豊かさを感じて欲しい。
でも、もしかしたら、「課金ゲー」の罠にハマっていることだってあるわけで。
例えば、スマホゲームの「モンスターストライク」や、「パズル&ドラゴンズ」は課金なんてしなくても、楽しく遊べる。
もしも、子どもがゲームに対して、
「課金しないと楽しく遊べない!」
っていうんなら、
「これは、課金ゲー(課金を目的に作られたゲーム)なのでは?」
とか、
「そもそも、そのゲームは楽しくないのでは?」
っていうことを考えてみてもいいかもしれません。
課金しないと、おもしろく遊べないんなら、それはそれでゲームとしては失敗作なのかもしれません。
おもしろくないゲームのことを「クソゲー」なんて言ったりしますね。
ここまでの話は、あくまでも「親のお金をどう使うか?」っていう話なので、子どもが自由に使えるお金の範囲で、課金ゲーなどに対してお金を使いたいのなら、それはそれでいいかもしれません。
子どもが言うように「課金すると楽しくなる」っていうのも、嘘ではないかもしれません。
「課金しても、あんまり楽しくない・・・」
っていうなら、子ども自身も自分のお金を減らすだけなので、そのお金は勉強料になるかもしれません。
使えるお金が限られているからこそ、何が本当に欲しいのか、っていうのを子どもが考える材料にもなりますよね。
自分の心と、頭で考えてもらう。
というわけで、僕の考え方は、
・子どもが自由に使えるお金の範囲で、課金するのはおっけー
・子どもが親にお金を出して課金をしたいなら、そのメリットや魅力を親が理解できるようにプレゼンする必要がある
・親は納得しない限り、お金は出さない
です。
今は、無料でも楽しく遊べるゲームはあるし、家庭用ゲーム機や、Nintendo 3DSのような携帯ゲーム機にも、おもしろいゲームはたくさんあります。
課金にこだわらずとも、そういうおもしろいゲームに目を向けてみるのもいいんじゃないかな、って思います。
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