親は、子どもからも愛してもらえる | 家庭を子どものBASEに 佐伯和也公式ブログ

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「子どもに親として、何かしてあげたい」

「子どもに親として、何かしなきゃ」

っていう気持ちがあったとします。



その気持ちの裏返しは、

「子どもに親として、何かしてあげないと、自分が役に立てていない気がする」

「子どもに親として、何かしなきゃ、(子ども以外の誰かから)自分を認めてもらえない気がする」

みたいなものだったりします。

つまり、自分を満たすために、子どもを利用しよう、って思っているわけ。



でね、僕はそれもいいんじゃないかな、って思うんです。

自分を満たすために子どもを利用しても。



大切なことは、満たされていない自分に気付いていること。



です。





だってね、自分が子どもだった時のこと、ちょっと想像してほしいんです。

もしね、突然、お母さんがさ、

「実はね、子どもの頃、お母さんに愛されていない、って思ってたの」

って言われたら、子どもとして、どんな気持ちになりますか?



「はぁ!?知らんし!そんなことはいいから、私を愛してよ!」

って思いますか?



みんながみんなそう思うかは分からないけれど、きっと、

「じゃあ、私が愛してあげよう!!」

「そっかぁ、辛かったね、よしよし」

ってなりませんか。



何が言いたいか、っていうと、

「子どもも、親の役に立ちたい」

って思っているし、

「子どもも、親を愛したい」

って思っている、っていうこと。



子どもは愛されるだけの存在じゃないんす。

子どもは愛されることもできるし、愛することもできる存在なんす。



だからさ、親自身が、

「親に愛されてこなかった・・・」

「親に認められてこなかった・・・」

っていう時、背伸びをせずに、その弱さを子どもに見せられることが大切だな、って思うんです。



子どもは、理論武装した人には、寄り付かなかったり、逆に攻撃をしかけてきたりします。

それは、

「あなたの本心、見せてよ!」

みたいなもんなわけで。



子どもは、弱った人をさらに攻撃したりはしません。

むしろ、子どもは子どもなりに、寄り添おうとしてくれます。



だから、子どもと関わる時に、無理にがんばったり、自分の本心を隠したりする必要はないんです。

本心をさらけ出すのは、勇気がいることですけどね。



でもね。



親が本心をさらけだして、愛されている実感が無かったこと、認められてこなかったこと、寂しかったことを子どもに話したとします。

そしたら、子どもは、親を愛そうとしてくれます。



当たり前な話ですけど、何かの意図をもって、それこそ子どもを何か意図的に操作しようとしちゃダメですよ。

そうじゃなくって、ただただ本心を話すだけ。



子どもが親を愛することをすると、子どもは人を愛せるようになります。

そりゃそうですよね。

親を愛することと、人を愛することは、寸分違わず、同じです。



子どもが親の役に立とうとしてくれることで、子どもは人の役に立つことを覚えます。

そして、子どもは「自分は無力じゃないんだ」って思えるようになり、「自分には存在する意義がある」って思えるようになります。





子どもと関わる時に、親に必要なことは、強さじゃないんです。

背伸びしたり、がんばったりする必要はないから、その背伸びをやめることです。

できることは、できると言えばいいし、できないことは、できないと言っていい。



自分の本心のまま、自然体で生きることが、子育てする時に、親に求められることだろう、と僕は思います。

なぜか?

子どもは、親の姿を見て学ぶから、です。



子どもは、親が育てるもんじゃないんです。

子どもは、親を見て、親に愛されて、勝手に育っていくもんなんです。



だってさ、例えば、子どもにご飯を食べさせて、

「お、満腹度が15ポイント上がったな!あと、35ポイント分、食べさせたら、身長が10センチ伸びる」

とか無いじゃない(笑)



子どもにご飯を食べさせるのは、もちろん、飢えさせないため、っていうのもあるけど、それ以上に、

「あなたのことが大切ですよ」

っていうことを伝えるため。



だから、言いかえれば、普段から

「あなたのことが大切ですよ」

って伝えていて、子どもも、

「大切にされてるなー」

って思えていたら、わざわざ親がご飯を作る必要なんて無くなります。



それこそ、スーパーで買ってきたお惣菜や、マクドで買ってきたハンバーガーを食べさせてみたら、

「うわぁ!これすごく美味しい!」

って喜んだりするんです。



子どもは、親に育てられるんじゃなくて、親の愛情を受けて、勝手に育っていくもの。

だから、子どもに特別何かしてあげる必要があるものって、実はそれほど多くはありません。



ご飯を食べさせることも、

歯を磨かさせることも、

勉強をさせることも、

寝かしつけることも、

朝起こすことも、

しなくてもいいんです。





それよりも、親としてしなくてはならないことは、本心で、自然体で生きること。

良い親じゃなくてもいいし、カッコいい親じゃなくてもいいし、ダメな親でもいいんです。

ただ大切なのは、自然体で生きているかどうか、です。



自分がダメ親なら、子どもは勝手に

「なるほど、これをこうしたらダメなことが起こるんだな」

って勝手に学んで、しっかりものに育ちます(笑)



親が

「子どもを育てなきゃ」

って思えば思うほど、子どもは変な方向に育っていくし、その軌道修正にとっかかりになって、子育てはびっくりするくらいしんどいものになります。

でも、親ががんばることをやめたら、子どもとの関係は劇的に良くなると思います。





そして、ここからがめっちゃ大切な話。




親が自然体で、本音で生きるようになって、いいとこも、ダメなとこもさらけだすようになった。

そして、子どもとの関係も良くなった。

そこから、ようやく『教育』が始まります。



教育っていうのは、教え、育てることですよね。

何を教えて、どんな人間に育てるのか、っていうと、アドラー的に言えば『自立』なんですけど、もうちょい分かりやすく言えば、

「自由な心を持った人間」に育てて、

「自由には責任が伴うこと」を教える。



自分の人生は、自分の手で、いかようにも選択できるんだよ、っていうこと。

その選択は、いいことも、悪いことも、全て自分に返ってくるんだよ、っていうこと。

これはアドラーの言う『自立』と一致します。



自立できていれば、自由と責任を持って社会に出た時に、経験したことから自発的に学んでいくことができます。

しかし、依存したまんまだと、自由はあるけど、責任が無かったり、責任ばっかりで自由が無かったりして、子どもが経験から自発的に学ぶ力が弱くなります。



子どもにとって、親はとても大切な存在です。

親が本音を隠して、自分のやりたいことも制限したまま生きていると、子どもの方も、親との繋がりの薄さを感じます。

子どもは、親ともっと繋がりたい、って思います。

親のことをもっと知りたい、って思います。



この時、子どもの意識は、親に向いています。

社会には向いていません。



子どもが親と繋がれたな、って感じたら、自然と子どもの意識は社会へと向きます。

子どもが親と繋がれたな、っていうのは、親から愛されてるんだな、って実感した時、とでも言いましょうか。

「もう自分は、十分に愛された」

って思った時に、子どもの意識は親から社会へと向けられます。



その時に、ようやく『教育』が始まるわけです。

教育と言っても、一緒に体験して、その体験から一緒に学ぶ、ということをするだけ。

もしくは、子どもが自分で体験して、その体験から自分で学ぶ、ということです。

何か学問を教えるのは、親もできるに越したことはないけれど、基本的には学校や塾の先生に任せておけばOKで。



「自由には責任が伴う」

っていうのは、言い換えれば、

「こういうことしたら、こうなるんだな」

「やったことは自分で何とかしなきゃいけないんだな」

っていうことを学ぶことです。





で、そういう状況にするためには、親が子どもを愛する必要があります。

でも、親が十分に愛情を受け取ってきていない場合は、子どもを愛することが難しい時があります。

そういう時は、親が本心をさらけだして、子どもに愛してもらえばいいんじゃないかな、って思います。



「愛される」っていうので大切なのは、「誰から」ではなくて、自分の中に「愛されてる」っていう実感です。

だから、親から愛されるのでも、子どもから愛されるのでも、

「私って、愛されてるなぁ~」

「俺って、幸せ~」

って感じられていれば、それでいい。



親から愛されることにこだわる必要はありません。



もうちょっと補足しておきます。

親から愛されないとダメなのであれば、生まれる前に親が亡くなっていた子は、愛されることがない、ってことになります。

親から愛されないとダメなのであれば、親から愛されてこなかった人は、もれなく不幸になります。



でも、現実、見てみたら、そんなことはない。

親から愛されていなくても、先生から大切にされて立派に育った人もいるし、近所のおっちゃんに愛された人もいれば、親友が心の支えだった人もいるでしょう。

「親から」が大切なのではなくて、「愛されてるんだな」っていう実感を得ることの方が大切なんです。



だから、「親から愛されてこなかったから、子どもを愛せない」じゃなくって、「親から愛されてこなかったから、子どもから愛してもらおう」っていうのでいいんじゃないかな、って思うんです。
 
 
 

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