「子どもが自分から勉強を始める」とは | 家庭を子どものBASEに 佐伯和也公式ブログ

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子どもが思う存分遊ぶ(ゲーム含む)ことで、知的好奇心が育ち、それが勉強にも繋がっていく

子どもが自分から勉強を始めるには、どうしたらいいのか。

 

僕がほぼ毎日出しているメルマガのタイトルでもあります。

 

「子どもに勉強してほしい。」

 

それは、多くの親の願いでもあると思います。

 

僕も同意です。

 

 

 

でも、僕らは残念ながら、学校教育の過程において、いかに勉強をさせるのか、というやり方しか教わってきていません。

 

勉強をしたら褒められ、勉強をしなかったら叱られる。

 

そして、何とかして勉強をさせようと、あの手この手を尽くされる。

 

さらに、ひどい場合には、体罰や、親子関係が荒れることもあった。

 

 

 

自分の意志で勉強をしたい、学びたいと思えるような関わりをされてきた人は、むしろ少ないんじゃないかな、って思います。

 

自分がされてこなかった関わりは、自分でやるのは大変です。

 

どんな感情を使えばいいか分からないし、どんな感覚を再現すればいいのか分からないから、です。

 

道具も分からなければ、ゴールも分からないんです。

 

だから、感情、感覚が伴わない行動だけ何とか変えようとしちゃう。

 

 

 

当たり前ですが、それじゃあ変わりません。

 

勉強をしようと思ってしたんじゃなくて、親に怒られるのが嫌だから勉強した、っていうモチベーションになります。

 

それじゃあ、勉強した内容は頭に入らないし、勉強嫌いになっていくだけ。

 

 

 

子どもが自分から勉強を始めるためのモチベーションは、知的好奇心を満たすことです。

 

 

 

「目指しているゴールがある場合も、自分から勉強するのでは?」

 

って思いましたけど、たしかにするかもしれません。

 

けれど、勉強が嫌いな状態で、勉強が必要なゴールはおそらく設定しない。

 

だから、ある程度、勉強が楽しかったり、勉強が嫌いでなかったりすることが前提にあるんじゃないか、と思っています。

 

 

 

子どもの知的好奇心を満たすために、大切なことは2つです。

 

1.遊びの解放

 

2.子どもの関心に関心を持つ

 

です。

 

この2つをやらずに、「勉強しなさい!」だけ言っている場合は、勉強嫌いまっしぐらです。

 

 

 

◆『遊びの解放』

 

『遊びの解放』は、言い換えれば、子どもの好奇心に従ってやりたいことを親が制限しない、っていうことです。

 

子どもが自分の意志に従って、遊んでいくので、自然と知的好奇心を刺激する場面は頻繁に表れます。

 

知識が必要な場面とか、練習が必要な場面とか、何度も出てきます。

 

その過程で、学ぶことや、練習することが、子ども自身の中で当たり前になってくるんです。

 

「学ぶと賢くなる」

 

「練習すると上手くなる」

 

ということが、子どもの体感として身に付いていきます。

 

 

 

ここで言う『学び』とは、学校の勉強を指しているわけではありません。

 

例えば、ポケモンを捕まえた時に、その能力や、覚える技などをいちいちポケモン図鑑開いたり、ネットで調べたりするのって、だんだん面倒になってくるんです。

 

じゃあ、覚えちゃえ!ってことで、ポケモンのデータを少しずつ覚え始めます。

 

自主的に。

 

こうして、ポケモンのデータについて学んでいくわけですね。

 

これも『学び』です。

 

 

 

遊びの中にある学びがどうして必要か。

 

ポケモンのデータを覚えたところで、社会に出た時に役に立つのはポケモン関連の仕事をする時くらいでしょうか。

 

もしくは、人と話す時の話題として。

 

 

 

何を学ぶのか、という部分は、ぶっちゃけ何でもいいんです。

 

それよりも大切なのが、『学びの素養』を作ることです。

 

『学びの素養』っていうのは、

 

・暗記力

 

・集中力

 

・連想力

 

・論理的思考力

 

・忍耐

 

などの学ぶために必要な非認知能力のことを言っています。

 

非認知能力って、上記に挙げたような数値で測るのが難しい能力のことを言います。

 

一方、学力などは認知能力って言うそうです。

 

 

 

学びの素養があれば、何かを新しく学んだ時の吸収率が全然違います。

 

子どもの頃にポケモンや、駅の名前や、色んなものを暗記していた子は、いざ勉強を始めても暗記力は健在。

 

何時間も同じ遊びに没頭していた子は、いざ勉強を始めると一気に没頭できたりします。

 

 

 

しかし、遊びで身に付けた学びの素養を発揮するためには、絶対に外せない条件があります。

 

それが、

 

『主体性』

 

です。

 

つまり、「勉強しなさい!」と言われてやった勉強では、学びの素養を発揮しません。

 

何とかして、その命令を退けたり、誤魔化したりすることに学びの素養を発揮します(笑)

 

 

 

僕が『遊びの解放』を勧める最大の理由は、子どもの『主体性』が最大限に発揮されるから、です。

 

遊びに『主体性』が発揮されるから、自然と学びの素養も発揮されているんです。

 

これが遊びの威力です。

 

子どもを賢く育てたい場合、遊びを軽く見ないことは絶対条件ではないか、と思います。

 

 

 

 

 

◆子どもの関心に関心を持つ

 

子どもが何で遊んでて、何を感じているのかな、っていうところに関心を持つんです。

 

子どもの「見て見て!」に対して、「どれどれ?」って応えてあげる感じ。

 

ここでのリアクションの良さは、子どもの心に響きます(笑)

 

 

 

「子どもの関心に関心を持つ」

 

っていうのは、子どもを見るんじゃなくて、子どもの目線の先にあるものを見るんです。

 

子どもと同じものを見ること。

 

 

 

「子どもが好きなものに関心が持てないんですが・・・」

 

という悩みもよく聴きます。

 

これは言い換えれば、

 

「親目線から、子ども目線に移ることができません」

 

っていう悩みね。

 

 

 

「子どもの関心に関心を持つ」っていうのは、子ども目線を想像する練習でもあります。

 

子どもの好きなものに関心が持てないならば、関心を持つように自分自身を訓練していく必要があります。

 

 

 

これは仮説ですが、子どもの関心に関心を持てない人は、自分自身に色々な制限をかけている人じゃないか、って思っています。

 

制限っていうのは、「~しなければならない」っていうのと、「~してはいけない」っていうやつね。

 

自分の中に制限が多いと、子どものやっていることは、どうしてもしょうもないもので、無価値なもので、無意味で、無駄なものに見えてしまう。

 

だから、子どものやっていることに関心を持つことすら、無駄なことだと思ってしまう。

 

おそらく、具体的な制限で言えば、

 

「自分なんて、どうせ誰からも注目されない」

 

「自分は今まで誰からも注目されてこなかった」

 

っていう思い込みでしょうか。

 

 

 

子どもがやっていることに関心を持てると何がいいかっていうと、

 

 

・子どもがどんな気持ちで、何を考えているのかが分かる

 

・子どものことが分かるから、遊びや学びのレベル調整が親の方でもできる

(失敗した時に難易度を下げてあげたり、飽きてる時に違ったものを与えてみたり)

 

・子どもの自己肯定感が高まる

 

・子どもの中で遊びが次々と完了されていく

 

 

っていうことでしょうか。

 

 

 

特に、僕が重要視しているのが、子どもの遊びが完了されていく、っていうこと。

 

子どもが親に遊びの成果を見せてくる時って、まだその遊びが楽しい時です。

 

で、親が子どもの遊びに関心を寄せてみると、飽きて次のレベルに行くまでの時間が短縮されます。

 

なぜなら、子どもが遊ぶ理由の半分は、親に見てほしいから、なので。

 

もう半分は、純粋に楽しいから、学べるから、ですね。

 

 

 

 

 

◆なぜ、『遊びの解放』と、「子どもの関心に関心を持つ」と、自分から勉強をしやすくなるのか

 

学ぶことを楽しいことの一つだと感じるようになるから、です。

 

学ぶこと=楽しい、と考えるのではなく、感じるんです。

 

ここがポイントね。

 

 

 

子ども自身で言葉にはできないんですけど、なんとなく体で感じるんです。

 

「たくさん覚えられたら楽しい!」

 

「たくさん知っていることは誇らしい!」

 

「理由が分かったらおもしろい!」

 

「新しい問題に挑戦してる自分がカッコいい!」

 

そういうことを肌身と心で感じるから、もう染み付いて離れなくなるんです。

 

 

 

これを言葉で教えようと思っても、無駄です。

 

「ほら、たくさん覚えられた方が楽しいでしょ?」

 

って子どもに言ったところで、体感していなかったら、

 

「そんなわけないじゃん。めんどくさいだけ」

 

って一蹴されます。

 

 

 

でも、身体で学ぶこと、知ること、理解することの楽しさを実感していたら、親が特に何かしなくても勝手に何かしら学んでいます。

 

親、楽。

 

 

 

でね。

 

 

 

この話を書くと、ある一定数で出てくるのが、

 

「要するに、子どもを好きに遊ばせて、ほったらかしておいたらいいんでしょ?」

 

っていう人です。

 

 

 

僕が言いたいことをまとめると、

 

「子どもに好きなように遊ばせて、その遊んだ内容について、コミュニケーションを取りましょう!」

 

っていうことです。

 

 

 

遊びが欠けてたら、学ぶ楽しさの体感ができない。

 

コミュニケーションが欠けてたら、子どもが精神的に育ちにくい。

 

 

 

両方必要なんです。

 

両方とも大切にしていれば、子どもは自分で勝手に様々なことを学びます。

 

親は、その様子をおもしろおかしく見ていればいいだけ。

 

 

 

子どもの成長していく姿を見ることを楽しんでおけばいいだけです。

 

 

 

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山田和佳子さんが、僕をどうして仙台に呼んでくれたのか、書いてくれました。

私が佐伯和也さんを仙台にお呼びするワケ①

私が佐伯和也さんを仙台にお呼びするワケ②

私が佐伯和也さんを仙台にお呼びするワケ③