まさに横綱相撲。映画「ハウルの動く城」 | 忍之閻魔帳

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発売中■Blu-ray:「ハウルの動く城」

オスカー受賞の快挙を成し遂げた「千と千尋の神隠し」から3年、
全世界待望の宮崎駿最新作が遂に完成した。
今回は原作ありなので、過去の宮崎作品で言えば
「魔女の宅急便」あたりと同じ位置づけになるだろうか。
原作を手掛けるイギリスの作家、ダイアナ・ウィン・ジョーンズの作品が
ジブリ内で注目され始めたのは1995年頃とのことなので、
約10年の時を経てようやく公開となったわけだ。
大友、押井、日本のアニメを世界レベルまで押し上げた巨匠達の作品が次々に公開され、
次々に大コケした2004年を有終の美で飾ることが出来るのだろうか。

結論から言うと、年々色濃くなっていた宮崎節(説教臭さ)が大幅に抑えられた、
ちょっと拍子抜けしてしまうほどにライトな万人向けのおとぎ話になっている。
美少年魔法使いのハウルと、荒地の魔女の呪いで90歳の老婆に変えられてしまった
帽子屋の少女ソフィとの恋物語をベースに、お供のキャラクターや憎めない悪役など
かつての世界名作劇場を思わせるほど定番的な楽しさが満載だ。
荒地の魔女とソフィの掛け合いからは余裕すら漂わせており、
まさに「横綱相撲」と呼ぶに相応しい作品と言えよう。

これまでにも様々な役者を声優として起用してきたジブリだが、
今作の主人公ソフィ役に指名したのは、日本を代表する女優、倍賞千恵子だった。
1941年生まれの彼女だが、本作では少女から老婆までを驚くべき完成度で見事に演じきっている。
信沢三恵子(「未来少年コナン」のラナ)や
島本須美(「風の谷のナウシカ」のナウシカ)のような少女性と、
実年齢を遙かに超える老婆をどちらも完璧に演じ分けた。
今敏監督の「千年女優」では、ひとりの女優の生涯を年代別に3人の声優が担当していた。
ドラマでもアニメでもそれが普通である。
しかし、どんなに上手く演じてもそれぞれの人間が持つ「クセ」を消すことは出来ない。
所詮は別人なのだという違和感は残る。
「ハウル」では、ソフィは正真正銘ひとりしか存在しない。
ハウルに抱きかかえられて頬を染める少女のソフィも、
荒地の魔女にはっぱをかける強気なソフィばあさんも、間違いなく同一人物なのだ。
当たり前のようでいて、これは大きい。
エンドロールで流れる主題歌「世界の約束」(作詞:谷川俊太郎、作曲:木村弓)も
彼女が歌っているのだが、これまた文句なしの名曲。
個人的には、全てのジブリ作品の主題歌の中でもベスト3に入ると思う。
「ハウルの動く城」は、倍賞千恵子あってこその映画である。

さて、そんなソフィの脇を固めるのは、
荒地の魔女役に「もののけ姫」でモロを演じていた三輪明宏、
カルシファー役に「千と千尋の神隠し」で青蛙を演じていた我修院達也、
マルクル役に「千と千尋の神隠し」で坊を演じていた神木隆之介など、
今回は珍しく再登板組が多い。「ジブリ組」が形成されつつあるのだろうか。
美輪明宏は相変わらず上手く、今回は舞台女優(?)としての彼女の魅力が全開になっている。
ソフィ役の倍賞との相性が良かったのか、
美輪が倍賞の清楚な感じを引き立たせ、倍賞が美輪の怪しさを倍増させている。
ハウルとソフィを繋ぐパイプ役とも言えるマルクルを演じた神木は思わぬ伏兵で、
本作では倍賞、美輪に続く功労者と言えるのではないか。

さて、「あれで一気に観る気が失せた」とアニメファンから総スカンを喰らった
本作最大の懸念でもあるハウル役を演じた木村拓哉だが・・・
「宮崎アニメの新作にキムタクが出る」と聞いて大喜びした人は少ないと思う。
私の知り合いのキムタクファン(三十路坂を転がり続ける独身OL)でさえ、
「キムタクは好きだけど、、、ジブリは違うと思う」と言っていた。
ざっと見回してみたが、キムタク起用を歓迎する声はネット上では皆無に近かった。
しかし、実際に映画を観終えた後の率直な感想は

「いや、言う程悪くはない」

であった。
ちなみに私はキムタクが嫌いである。でも悪くなかった。
松田洋治(「もののけ姫」のアシタカ)の足下にも及ばないものの、
予想以上に頑張っていたのは確かだ。
ただ、ではキムタク起用がこの作品にプラスに作用したのかと言われると、
残念だがやはり「NO」と言わざるを得ない。
主演の倍賞千恵子は言うに及ばず、三輪明宏、神木隆之介など、
今回はとにかく芸達者が多いため、「悪くはない」程度では勝負にならないのだ。

「2046」を観た時にも同じことを感じたのだが、
キムタクは周囲が抱くキムタクのイメージを封印した瞬間に存在意義が無くなってしまうらしい。
「またあの喋り方」「またあの表情」「またあの歌い方」・・・
見もせずに「NO」を突きつけた人達の大半が嫌いな理由に挙げるはずの
「得意技」を封印したキムタクは「上手くも下手でもない凡百の声優」でしかない。
「スリルと共に上半身裸で出て来ない江頭2:50」や「全くキレないカンニングの竹山」
に存在意義がないように、「マジでぇ?を使わないキムタク」にも存在意義はない。
ハウルを演じるにあたりキムタク臭を抑えることが必要だったなら、
そもそもキムタクを起用する必要も無かったのではないか。
個人的には、ナルシストで打たれ弱い美少年という役柄からして
「猫の恩返し」にも出演していた袴田吉彦か及川光博あたりがハウルには適役ではないかと思う。

ストーリーについては、原作を読んでいなければ
今ひとつ理解出来ない点が多いことに疑問が残る。
「風の谷のナウシカ」の場合、原作を読んでいなくても
ストーリーが進むにつれ世界の枠組みが分かるように作られていたが、
「ハウル」では戦乱の世が舞台になっていながら、
どういった勢力同士が何を目的に争っているのか皆目見当が付かないため、
ハウルが何を理由にどちらに荷担しているのかすら分からないのだ。
おかげで、「ハウルは戦争が嫌いなんだろうな」ぐらいしか分からない。
加藤治子演じるサリマンのポジションも良く分からないし、
幼いマルクルがハウルと共に「動く城」で生活するに至った背景も分からない。
カルシファーとハウルが交わした契約についても、
引っ張るだけ引っ張っておいて「へ?それだけ?」という程度の説明しかされない。
ソフィに至ってはいつの間に呪いが解けたのかすら分からない。
結局、明快な答えが用意されているのは、
かかしのカブにかけられた呪いの解き方だけというのはあまりにもお粗末ではないか。
長大な原作の中から映画化に適したエピソードを抜き出して構成したのかも知れないが、
映画単体でも100%楽しめるようにするのは当たり前の話だろう。
記録的な動員数を約束されたジブリ作品ならば尚更だ。

と、なんだかんだと文句も書いてきたが、
全ては「スタジオジブリ最新作」という響きに無条件に反応してしまう
熱烈なファンならではの些細な不満であることも確かだ。
年に何本も観られるクオリティの映画ではないし、
1割のマニアより8割の大衆を満足させる作品を作り続ける宮崎監督はやはり偉大だ。
ここはひとつ、3年振りの「お祭り」を楽しもうではないか。