コンビニの前で自転車に乗って買い物に来た若い警察官に合いました。
そのとき、以前から気になっていたことが頭をよぎったのです。
『警察官が乗っている自転車のハンドルについている透明なパイプって何のためにあるのか?』
いつ見ても何か入っていたこともないし、使っている所を見たことがない。
一体何に使うのだろう?
私の好奇心が刺激され警察官を呼び止めました。
「お巡りさん、ちょっと聞いていいですか?この自転車の前に ある二本の筒のようなものなんですか?」
「ああ、これですか。たまに聞かれるんですよね。これは、私は使ったことがないのですが、事故現場などで使う誘導灯を差すものです」
「なるほどね」
「あと、凶器を持った人に対して使う“さすまた”を差して現場に向かうためのものです」
「ふん、ふん」
なるほど、よく観ると、右側の筒は浅くなっていて、左側は深くなっている。
てっきり傘で差しておくものかと思っていました。
それと警察官ならではの答えがありました。
「警察官が片手運転するのはいけませんよね」とのこと。
おお、そうか取り締まる側が危険運転するわけにもいかない。
「便利」だけではなく「法を守る」意味もあったのです。
それは、ごもっとも。
こんな会話を笑顔で答えてくれた警察官に安心感がありました。
普段、何か疑問があってもそのままにしてしまう
人に聞けないのは、好奇心よりも恐怖心が勝っているからです。
このような場面で私が、警察官に対して「怖い」という情動や
声をかけることそのものが「怖い」と無意識で感じていたなら疑問は解決できなかったでしょう。
※ちなみに『Yahoo知恵袋』では、「片手運転をしてはいけないため」法を守るためといったことは書かれていません。
「やりたい」と思っても動けなくしている、裏にあるブレーキは「恐怖」であり
アクセルが好奇心という欲求。
欲求<恐怖=停止
欲求>恐怖=行動
だから、「やりたい」程度の気持ちでは足りないのです。
「凄くやりたい」にまで高まっていないと、恐怖に負けてしまうので止まってしまうんです。
子どもが危険を顧みないのは、恐怖よりも好奇心にエネルギーを注いでいるから。
それと、恐怖の元になる知識も少ないこともありますね。
子どもを見習い、「凄くやりたい」を続けていれば、ブレーキが甘くなりますよ。
今日も元気に
「Yes I’m good」で行きましょう。
「Yes I’m good」で行きましょう。
五月病かなと思ったら、焦げ付かない前に…。
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