ロビーにどんどんと人が集まってきました。
お母さんと子どもたちを座らせて自分たちは立ったまま。
ホテルの方がどんどん椅子を運んできてくださるけど
全然足りないので、お年寄り優先で。
30分ほど経ってからホテルの方に
この後自分たちはどうなるのか?と聞きに行ったら
すでに帰って行かれた方がたくさんおられて
私たちにも帰っていいですよという返事。
暖房が切れるかも知れない。
断水するかもしれない。
少しの食事の提供は考えています。
でも部屋に戻れない。
宿泊代は頂きませんのでおられてもかまいませんが好きなようにしてくださって結構です。
いや・・・しかし。そう言われても・・・。
まず第一報は道路が渋滞。今はやめた方がいいという判断。
そのうち、新湊方面へ行く橋が津波警報で通行止めになっているらしい。
それに、伏木の町中の道路が陥没したりしててどうなっているのかよくわからないという情報。
その情報をもとに帰ろうかどうしようかと迷っているうちに
下から一般の住民がどんどん非難しに上がってこられて
津波警報のための避難という事で、それなら我々の新湊も危ない!という事にやっと考えが及び町内の方に状況を確認。
我々の町内の方々はみんな旧第一イン新湊に避難中という事。
それじゃあ警報が解除になるまではここにいるのが安全ってことだね。と自宅に帰るという選択はなくなりました。
磯はなびさんに居たことで地震発生時やその直後の世間の混乱を目の当たりにしていないことで極度の不安や恐怖を感じることが無かったので、海間際の人達が必死で高台に上がってこられたとの感覚にギャップがあったと思います。
ロビー避難から2時間後ほどにペットボトルの水が配られました。宿泊客か避難住民かの区別もつかない状態でとにかく平等に。
ホテル側としては、宿泊者の方には夕食の準備を進めている途中だったので何かしら提供したいと思っておられたようですが
結局差別するわけにもいかず、皆さんにお配りするほどの量もなく、帰宅したいパートさんたちも帰されたようで人手もなく。
(帰るときに謝れましたがそんなことは全然大丈夫です!)
部屋に戻ることも許可されず、地べたに座っている方もおられたので、我々一族で子ども含め11人もいるので夕食会場になる予定だった部屋が2階にあるのでそこにいてもいいかと確認。
我々がいなくなることで椅子に座れる方も出てくるので・・・という理由で自己責任でOKをもらって移動。
夕食会場のテーブルも上下左右に動きまくり
上にセッティングされていた器等ぎりぎりセーフで落ちていなかったので丁寧に片づけて安全を確保。
押し入れから座布団を出させて頂いて母を横にならせる。
子どもたちには持ってきていたお菓子を与える・・・
他の方たちの目を気にすることなくお菓子だけども少し口にすることが出来たおかげで子どもたちも落ち着く。
夜9時頃に町内の方からの連絡でみんないったん自宅に帰ることにしてると。
という事でパパがみんなに家に帰る?と言ったけれど
帰っても暗くて道路がどうなっているかわからないしこれまた自己責任で部屋に行かせてもらおう!と若者たちの意見。
ホテルの方の許可を頂いて自己責任で各自部屋に移動。
部屋に戻ることが出来て、ベットがある部屋だったお陰で暖かい布団の中で寝ることが出来た。
あの水びたしになっていた畳も乾燥していてすっかり乾いていた。
びちょびちょになった紙類も全部乾いていた。
荷物をまとめて、すぐにでも飛び出せるようにして服を着たまま布団に入って寝た。
余震が続く…眠れない。
でも、暖かいところで横になって目を閉じていることが出来る有難さ。うつらうつらできた。
朝目が覚めてロビーに行ったら2人しかおられなくなっており
テレビを見ておられました。
いつも朝食バイキングに出ているパンが置かれていましたがちょっとしか減っておらず、みんな明るくなると同時に自宅に戻られたのか、それともまだ部屋でゆっくりしている人がいるのか・・・
最初は遠慮して子どもの分だけ4個持って部屋に戻る。
子ども達はぐっすり寝ていたようで起こして帰る準備を進める。
みんながロビーに集まってもパンは私が4個持って行った後も全く減っていなかったのでもう少しもらっていいかな・・・と
大人たちは前日のお昼からやっとそのパンを1個口にした。
最後まで残っていたのは同じ新湊の老夫婦だけ。
息子さんが迎えに来てくれるのを待っているとのこと。
その方達は8階だったので階段で部屋に戻ることもできず、
荷物はホテルの方が運んで来て下さり、
カラオケボックスのソファーで休んでいたそう。
1月2日8時半ごろに家族全員で自宅に帰ることが出来ました。
道中道路は大変なことになっていました。
自宅周辺もたくさんの家の塀が崩れ歩道を塞ぐ。
道路にも落ちている・・・
灯篭も崩壊。道路に飛び出ているのもある・・・
その様子を見てやっと1日の地震が今までにないすごさだったことを実感したのでした。
そんなことで、楽しいはずの正月温泉一泊は終わりました。
つづく