働きアリのエピソードを聞いたことがあるだろうか。
こういう話だ。


コロニーの中で働きアリは八割の働く者と二割の働かない者で構成されている。そこで実験として、働く八割のアリだけ、働かない二割のアリだけでそれぞれコロニーを形成させると、やはり働く八割と働かない二割に分かれる。

という面白い現象の話だ。

私はこの話を時期は忘れたが(多分中学生くらい)、学校の先生からされた記憶がある。


「もともと働き者だった中から怠け者が生まれるなんておもしろいねぇ」


と。


「もともと働き者だった中から怠け者が生まれるなんておもしろいねぇ」


??



そうではない。
この現象がなぜ起こるのかといえば、

アリも生物である以上、ある程度活躍すると疲れてしまう。皆で働き、コロニー全体が疲れてしまうとコロニーは存続できなくなる。そこでコロニー全体の存続には働かないアリがある一定数いることが必要になる、というわけであるそうだ。


つまり

働きたくなくて働かないのではなく

その状況でないから働かないのだ。


その教師はきっと時間が空いたので、アリに関する雑談をしようと思って言った話だろうが、
はっきり言ってまったくニュアンスが間違っている。

かくいう私も知る直前までは、教師の伝えたニュアンスで受け取っていた。
そして、別の誰かにしたり顔でその知識を披露したこともある。


ウソを聞き、特に調べることもなく、ウソを伝えてしまった。


アリの話を例に出したが、このようなことは日常に山のように溢れていると感じている。

簡単な例でいえば、言葉の意味を知らずに使うことは勿論、略語を元の言葉を知らずに多用するのはとても恥ずかしいことだ。

自戒の意も込めて、知ったかぶりはとても愚かで恥ずかしい。

様々な知識を披露して、あいつは物知りだと褒められるのは簡単だが、その分だけ、一つミスを突かれて、崩壊してしまう危険は高くなっていく。


正しいことばと正しい知識を身につけていけば自然と人生も正しい方向に進んで行くんじゃないかなと感じている。

まあ、あくまで"感じ"だけどね。



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情報強者 情報弱者 という言葉。
ネットスラングでは情強、情弱と略した形でよく使われている。

簡単に説明すれば、ある目的を達成するために、それに関連する情報がどれだけあるか、ないかの違いだ。

例えば、「○駅に行きたい」という目標を達成するために、最寄りではないが、少し歩けば○駅まで一本で行ける□駅があるとする。その情報を持っているAは速く安く目的地に着ける。それに対してBはまったく情報を持っていないために、最寄りの◇駅から乗り、△駅で路線を変更し○駅へ向かったわけだ。これは当然、Aより時間もお金もかかっているということになる。

自分の情報のおかげで速くて安くすんだAは自らを情強と呼び、Bを情弱と呼んで優越感に浸るのだ。




「結果は手段を正当化しない」という言葉がある。


東大に受かったやつの勉強方法を他人が参考にしても東大に受かるわけはない。
勉強方法で受かるんじゃない。東大に受かるやつが受かるべくして受かるのである。

また、勉強方法なんて調べる必要はないってことだ。
復習が1番の勉強方法だ。
そしてそんなことくらい義務教育を終える頃には誰もが気づいている。




先ほどの話に戻るが、BはAの話を聞いて悔しく思うかもしれない。なんて自分は馬鹿なんだ、と。

しかし、Bだって目的地に着く過程で、もしかしたら旧友に会ったというイベントが起きたり、特にそういうイベントが起きなくても、Aより歩いた分運動ができたと思えばよい。
一見損しているようでも乗り換えなければ出会えない感動もある。
長く時間をかけた分だけその分ウォークマンで大好きな曲を聞くことができたと考えることもできる。(当然Aのが聞く時間は短い。)


たしかに結果だけみればAの方が良いかもしれない。
しかし、だからといってAの手段がBより良いものだとは限らないということだ。


つまり、情報強者、情報弱者なんてくだらない。
その瞬間、瞬間を楽しんで、できる限りのことをじぶんのものにしていく。

1番避けたいことは、情報強者だと気取ってたくさんのことを知らずに切り捨ててしまっているということだ。
その切り捨てたものでしか楽しめない感動だってある。
「無知は力」なのだ。

自分の行動を制限することはとても怖いことだと思っている。


あーミスったー!!といって悔しくなること、後悔することあるでしょう。

振り返ってみれば意外と楽しめたことがあるかもよ。
瞬間瞬間を楽しんで生きることが1番の結果を導くことができると考えています。

Be happy !!


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私はめんどくさいには二つの意味があると思っている。
別に意識しないだけで、みんなわかっていることだとは思うが、

一つは(やるのが)めんどくさいのように使われるときのめんどくさい。

母親に何か頼まれて、めんどくさいなぁと思ったり。
洗い物が溜まっていて洗うのめんどくさいなぁって思ったり。


こういったときふと口から「めんどくさい」って言葉がこぼれがちだが、このめんどくさいに関してはそれは厳禁だと思っている。私も言わないように努力している。
まぁ、単純だ。「できるんならやれよ。」って思われるし、私もそう思うからだ。

何か人に頼みごとをしたときに「めんど」と返されたときにはすごい残念な気持ちになる。

言って良いことはないから言わないように心がけたいものだ。


さて、二つ目のめんどくさいだが、
これは(状況が)めんどくさいってやつだ。
これはやる、やらないという問題ではなく、とにかく頭の中でいろんな問題が渦巻いていて思わず「あー!めんどくさい!」と言いたくなるようなこと。どうすればいいのかわからないわけだ。

"あいつはめんどくさい人間だ。"

ってときに使われるめんどくさいともニュアンスが似ている。

まぁ、どちらのめんどくさいも結局は自分の思い通りにならないことへの不満という点で共通しているわけだが、
前者は解決方法が明確
後者は解決方法が不明瞭
という違いがあるように感じる。



後者に関してはめんどくさいと口に出してもあまり問題はないように思っている。むしろ、友だちにその状況のめんどくささを説明すれば、同情してくれ、助けてくれることもあるかもしれない。


しかし、前者に関してめんどくさいなぁと言ってしまうときには友だちは誰も助けてくれない。ニコニコして手伝ってくれる素敵な人間でさえ「いいから自分でやれよ」と思っているかもしれない。



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女の子になってみたいとよく思う。

男が好きだとか、女装癖があるとかではなく、100パーセントなってみたいわけだ。



確実にモテると思うからだ。


なぜかといえば、20年間男をやってきてて、男のツボをおさえているわけだから、そのツボをそのままいじくってあげればいいわけだ。

まぁ、男時代の記憶を持ち込んでる時点で100パーセント女ではないのだが、この話自体あり得ないので別にいいだろう。


実はこれは私に限ったことではなく、世の全ての男に当てはまる。
特にモテない奴ほど。

モテない奴ほど、自分の理想の女性像を確固たるものにしている。
妄想に妄想を重ね、こうされたら嬉しいという、女の子の行動レパートリーを蓄積しているわけだ。

こんなこと言ってる私も全くモテないので、変に理想ばかり大きくなってしまった。
いざ、女性を好きになろうものなら、理想の女性像が邪魔して、全く燃えない。大変困ったものである。

あぁ、どうしようかとまた得意の妄想をしてたらこんな考えに耽ってしまったのです。


自分の理想の女性に自分がなってしまえば、私みたいなタイプの男なら即落とせるだろうし、告白される数はどんどん増えて行き、告白され飽き、フる作業も事務的なものになり、告白のための整理券まで作らなきゃいけない事態に発展すると思っている。


なにが言いたいかって、男が想像する女性像と現実ってのは、めちゃめちゃ開きがあるってことだ。

これは女性に立場を変えても同じこと。女性が想像している男なんてこの世にいません!すみません!


結局こういうことを考えていると、頭の中の理想的な女性がその男にとっての「100パーセント女」であり、その100パーセント女の行動全てが"女らしい"となっていく。
しかしふと周りを見渡してみれば、Qooレベルの「30パーセント女」や、スジャータレベルの「5パーセント女」のあまりの数の多さに愕然としその現実を受け入れられず恋愛できなくなっていく。

恋愛とは妥協ありきだから辛いものだ。



結論としては世間に言われているだいたいの"男らしさ"ってのは女の理想であり、だいたいの"女らしさ"ってのは男の理想であり、そのどちらもが実現不可能。それゆえに恋愛と妥協はきってははなせない存在だということだ。

じゃあ、男ってなに?女ってなに?
男という名目で実質は男じゃないんじゃないの?女っていう名目で実質は女じゃないんじゃないの?



機内でこんなことに気づいてしまい、
すごい気分が落ちてしまった。私の気持ちに反して飛行機はしっかり目的地まで飛んでくれたが。











【注:便宜上一方の立場から述べたが、男女差別を意図したものではまるでない。どうしても気になる人間は男と女を入れ替えてご自由に読んで欲しい。】




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