「……すー、すー……んっ……」
ありふれた日常。チアキは自身の体躯よりもずっと大きなPCと接続し、メールチェックをしていた。
といっても個人所有のPCにメールが来ることなんて今の時代そうそうない。やることは読む気のないお知らせや通知の類をゴミ箱に放ることだ。
現実のチアキはクレイドルに腰かけ、眠っているようにしか見えないが、電脳世界にいるチアキは違う。乱雑な書斎の中に適当に放り込まれている手紙として表現されたメールを差出人とタイトルを見てゴミ箱に投げ入れるという作業をしているのだ。
「……ふんふんふ~ん」
鼻歌交じりに必要なモノ、不必要なモノを仕分けてポイポイ削除していく。
ふと、見慣れない文言のタイトルの手紙が目に止まる。
差出人は……今まさにチアキが入り込んでいるパソコンのメールアドレスとなっていた。
「招待状? なんだこれ」
パソコン自体は他の神姫たちも全員接続しているが、メールをだすなんてことはマスターしかしない。だがその時は大体チアキも同席している。校正をしているからだ。
怪訝な気持ちで本文を開く。
「はい、皆さんこんばんは♪
グッドイブニングじゃない時間であろうとこんばんは♪
申し遅れました、私はハーモニーグレイス型神姫のミサと申します。
マスターイモMk2の平和的なイベント担当です。
この度、神姫向けのテーマパークを電脳世界にオープンしようかと思っていまして、
今回はそのプレオープンのご案内となります♪
今回ご案内するアトラクションは「シンキ・オブ・ザ・デッド」
お化け屋敷+脱出ゲームのポジションですね。
ルールは簡単。ゾンビを模したエネミープログラムが徘徊する街から制限時間内に逃げ延びてください。
ウイルスの元凶を確かめたり、ワクチンの奪還とかそういうものはないので、とにかく逃げてくださいね。
あ、そうそう。武装の持ち込みは禁止です。ゾンビとの戦闘もあるでしょうが、そういう時には落ちているお助けアイテムを使って下さいね。
皆さんの武装持ち込みOKとかにしちゃうと大分ジェノサイドになっちゃいますから。
それはそれとして、制限時間を過ぎると町はミサイルで吹き飛ばす予定ですのでご注意を。
まあ、最終的には生き残ればOKです。生きてればいいことありますから。ね
え? バトルやレースよりよっぽど物騒?
ええ、ええ。古人曰く、物騒神姫です♪
冗談です。これはあくまでテーマパークのアトラクション。しかも電脳世界ですから。
実害ゼロですとも。それこそゾンビに噛まれちゃうこともあるかもしれませんが、ウイルスなんて検知されませんので!
そこの辺りはご安心ください。
それではゾンビ世界へ、レッツゴー!
……あ、勿論勝手に飛ばすとかできないので。メール開いたら勝手に飛ぶとか完全に迷惑メールですもの。
準備オッケーになったらこのメール下部のリンクを押してくださいね」
……また祭りごとか。
「退屈しのぎには丁度いい、か」
にやりと口角を上げると、リンクを開く。
チアキの意識は吸い込まれるように流されていった。
「御参加ありがとうございます♪
今回の参加者は
イモMk2:ストラーフMk2ラヴィーナ型 チアキ
天間星アケローンのタカハシ:ヤドカリ型 アイム
/* Hi no name */.Bob:戦闘機型 “飛鳥さん“
フルアーマーレイ:アーンヴァルMk2テンペスタ型 ネロ
夕凪朝陽:ジールベルン・アメジスト型 ジル
ラーク2:ポモック型 クイル
以上、敬称略の六名ですね。
さてさて、どのようなゲームになるのでしょうか♪
それでは、はじまりはじまり~♪」
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~~スーパーマーケット~~
ここはフィールドとなる街の一角に存在するスーパーマーケット。
ショッピングモール程広くはないしモノもないが、決して広くはない街にあるものとしては十分すぎる程の規模だ。
アメリカの片田舎の街でも再現しているのか、様々な施設が大きな通りに面して点在しているような街が今回のフィールドだった。
その施設のひとつ、スーパーマーケットが閉店時間なのか暗闇に閉ざされている。
普段喧騒に包まれている空間も、人一人いないがらんとした雰囲気と合わさると途端に不気味になるのだから不思議なものだ。
だがこの暗闇は決してここだけに留まるものではない。
街全体が既に暗闇に閉ざされているのだ。
出入り口の扉に面した一面をほぼ埋め尽くす硝子窓から見える灯はとても少ない。
青い月だけが静かに作り物の世界を照らしていた。
その不気味な空間、スーパーマーケットのレジからひょこりと首を上げる影がひとつ。
「はいはい、意気揚々とやってきたまではいいものの、随分と鬱々しいところにでちゃいましたねー。
世界観的には既にゾンビパラダイスになった後ということなんですかねー。
しかし可愛い子がいるというのならなんのその! がんばっちゃいますよー!」
周りの雰囲気とは不釣り合いにハイテンションな少女の姿をした影が、レジを早々に抜け出すとマイペースにきょろきょろと周りを見渡す。
黒いケープをすっぽりと被ったテンペスタ型神姫、ネロだった。
「とはいえ……スタート地点がこんなところじゃかわいい子も…………いましたね」
少し遠くに見える後姿。
不安げに陳列棚の陰から顔をのぞかせているのはグレーのジャケットを纏ったジールベルン・アメジスト型、ジルだ。
「どーもどーも! いつもニコニコあなたの後ろに這い寄る紫電、ネロさんですよ!
以後お見知り置きを!」
「はいぃっ!?」
後ろから声をかけるとジルは面白いほどにびくーっと身体を振るわせる。
「あ……こ、こんにちは……ジルと申します」
おそるおそる振り返った先が、自分と同じ少女だということに安堵するジル。
実害こそないと頭でわかっていても雰囲気はゾンビ映画ないしゲームそのものなのだから恐怖は推して然るべきではある。
「とりあえずパシャリ」
EXCELLENT!
そんな姿を容赦なく手持ちのカメラで撮影するネロ。
なんというか、世界観が独特すぎる。
「あの、ネロさん。一応競争相手に聞くのもなんなんですけど、何か脱出に繋がるものとかってありましたか? このままだと動きようがなくて……」
「うーん、それなんですけど、私も今来たばっかりといいますか。まだこうして写真を撮るくらいしかできてないんですよねぇ」
EXCELLENT! GREAT! EROTICA!
「その効果音なんとかなりません!? っていうかどこ撮ってるんですか!?」
「あー、いいですねぇ! その潤んだ瞳、悩ましい表情! 一枚いいですかと言いつつパシャー!」
会話の最中もおかまいなしにカメラで撮りまくるネロ。マイペースを越えて実にフリーダムだった。
「まあ普段はこんな音はでないんですけどねぇ。このステージのせいなんでしょう、きっと」
その時、低いうめき声が二人の耳に響く。
ゴトゴトゴト……。
奥の方にある陳列棚のひとつが揺れ、商品をぼとぼとと落とす。
暗がりでぼんやりと見えた影は小刻みに身体を震わせていた。
突き出した両手は何か……まだ遥か遠い獲物を掴まんと虚空を切り続ける。
月明りに照らされるスーパーマーケット店内に浮かび上がったのは、エネミーとして設定されたプログラム。崩れかけたヒトのカタチをしたものだった。
ゆらりと現れるゾンビ……にしか見えないエネミープログラムは重い足取りでネロとジルの二人に近づいてくる。
多少は怯える、もしくはその悪趣味加減にドン引きしてもいいところだが、武装纏う神の姫の名に恥じず二人は勇ましく身構える。
「さあ、早速でてきやがりましたよ! ここはネロさんの悪魔もきっと泣いちゃう、そんなスタイリッシュアクションを……ってなんかめっちゃ私だけ見てません!? めっちゃ私だけ獲物として狙ってません!?」
だったが、ゆっくりと、しかし確実にネロに向けて足を進めるゾンビ。
役割を果たすためにはもっとディフォルメした表現でも良さそうなものだが、その見た目は非常に現実的。
腐りきった肉片へのグラフィック表現に力を入れまくっている代物だった。
「じ、ジルさん、こいつは私に任せてください! そしてそのまま好感度を上げてください!
それじゃ早速……。
逃げるんですよォッ! すもーきー!」
作戦変更。90度回転するとダッシュでスーパーの出口である扉へ向かって逃げるネロ。
余程ネロに何か惹かれるものでもあるのか。
何を考えているのかはわからないが、ジルには目もくれず、ゾンビは重い足取りで追いかけていってしまった。
後に残されたのは呆然と立ち尽くすジルのみ。
「えっ、すもーきーって何……?」
何……何……何……
スーパーマーケットに困惑のこだまが反響した。
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~~路地裏~~
「……なんで私はこんなスタートなんだ」
ところ変わって狭い裏路地。酒瓶が積まれた一角でライダースジャケットを肩に引っ掛けたラヴィーナ型神姫、チアキは目を覚ました。頭を下に、尻を突き出したあられもない、というよりも単に間抜けな格好で。
むくりと起き上がると服に着いた埃をぱっぱと払う。
「……制限時間内に街から出ればいいんだよな? さっさと出るとするか」
結局これはゲームなのだ。
目的のためならば適当にバイクなり車なりを拝借しても許されるだろう。
勇者だって民家に入ってツボ割ってるし。
そんなヤケクソに近い割り切り方で表通りに出るべく足を進めるチアキ。
路地裏はとにかく暗い。比較的煌々と照らしてくれている月明りが頼りだが、それにしたってもう少し明るいところにでてもよいだろう。
がちゃん。
唐突に、耳障りな音が響く。
振り向くと酒瓶が落ちて砕け散っていた。
建物の暗がりで影になっていた黒い塊が一歩、二歩と足を踏み出す。
さらに三本目、四本目となる足も踏み出す。
四つ脚なのか。否、月明りの元に映し出されたゾンビは二体、群れてまとまっていたのだ。
「きゃぁぁぁっ!?」
ぴったりと二人三脚のように身体を寄せたままずりずりと寄ってくるゾンビ。
グロテスクな肢体に悲鳴をあげる。
さっきまでの低めにだしていた声とはまるで違う絹を裂いたような悲鳴だったが本人の名誉のためにも気にしない方向でお願いしたい。
「い、いや。落ち着け、これはこういうゲーム、こういうゲーム」
ここに来るまでのいきさつを思い出し、自分を落ち着けるチアキ。
まだ所々声がひっくり返っているが、思考はある程度冷静さを取り戻したようだ。
ふと、路地裏にあるには不自然なチェーンソーが足元に落ちているのが目に入る。
「成程、お助けアイテムってつまりこういうことか……」
ゾンビに溢れた街から逃げるにはいずれ戦闘も必要になる。
ゲームとして成り立たせるために用意された対抗策のひとつがこのチェーンソーなのだ。
だってそういう認識じゃないと転がってるのはまずいでしょ。
チアキはさっと屈むとチェーンソーを拾い上げ、エンジンを唸らせる。
凶暴な鉄の鋸が高速で回転する。
速度こそゆっくりだが狭い路地裏で逃げ場はない。
2体のゾンビは境目がどこかもわからないくらいに密着した状態で、ボロボロの手を伸ばして襲い掛かって来た。
「この手の武器を使ったことはそんなにないんだけれどな……!」
ゾンビ二体をまとめて一閃。
そこは対戦ゲームも前提に造られた武装神姫の本領発揮。慣れない武器でも問題なく使いこなしてみせた。
「ふぅ……マスターとあの映画みておいて良かった……。
……いや、よくはなかったか」
血や汚らしい液体が噴出することもなく、あっさりと二体のゾンビはまとめてやられてくれた。
そこは全年齢向けゲームらしい。いや、死体自体は残り続けているのでクレームは来そうだが。
「……む……」
チェーンソーはゾンビを倒すや否や、煙をあげて壊れてしまった。
対抗策が制限なく使えてしまえばゲームとして成り立たない。
少しの名残惜しさはあるもののチアキは壊れたチェーンソーを投げ捨て、路地裏を後にした。
────────────────────────────────────────
~~警察署~~
「ちょっと! これはどういうことですの!」
同じく暗い警察署……。だがここは非常用の電源でもあるのか、赤い光が点在していた。
おかげで壁面に書かれたPOLICEの文字も見ることができる。
そして自身のスタート地点が警察署と認識した瞬間、先の驚愕の声になったわけだ。
声の主は赤い軽微な鎧に身を包んだヤドカリ型マイムマイム、――フロントラインやケモテックなどの大手メーカー製ではない神姫――、アイムだった。
高貴な気質がプログラミングされた彼女のAIは自身の置かれた状況を速やかに判断、メモリーと照らし合わせた上でひとつの結論に達したのであった。
「いきなりどうしたのさ」
会話の相手はポモック型のクイル。
二人は警察署のエントランスで同時にスタートしていた。
「警察署スタートなんて、まるでわたくしが二日酔いで出勤初日に遅れたみたいじゃありませんか!?」
……そしてわりとどうでもいい結論に達していた。
「考えすぎじゃない? ホントに遅刻だったら署内じゃなくて車スタートになりそうだし」
「それもそうですわね……。まあいいでしょう。
わたくしの名前はアイム、本日はよろしくお願いしますわ」
「ん。よろしく。ボクはクイルだよ」
「さて、挨拶も済ませたことですし、さっさと脱出させていただきますわ」
言うや否や外に通じるドアを開いて外に出ていこうとするアイム。
「ちょっとストップストップ! そりゃまあボクも同じ意見だけどさ!
いきなり外に出るのは危なくない!? もっとこう装備を備えてさ……」
「あら、装備を整えている最中に後ろからガブリ。というのがオチじゃありませんこと?
幸い扉の方からは音も聞こえませんでしたし、ここに留まるよりも動いた方が良いと思いますわ。
それに、こんなところにいられませんわ!」
「なんでわざわざフラグ立てるかなぁ!?
……あっ、ちょっ!? 待ちなよ!」
機能を停止し、廃墟のようになった警察署は確かに辛気臭い場所ではあった。
それはそれとして早々に脱出を目論むアイムはそもそもゾンビと出会う前に距離を稼ごうとしていた。
「行っちゃったか……籠城はごめんだけど、ボクは先に装備を集めるかな……」
周りを見回すが、受付のデスク意外はあまり役立ちそうなものもない。
デスクを物色していると、署内地図らしきものが見つかった。給湯室や屋上……諸施設の案内が載っているそれで非常口の類を探す。
「まあ正面出口からでるのが一番近いよね……」
その時、出口とは逆方向の扉が勢いよく開き、ゾンビが一体倒れ込むように入り込んできた。
呻きながら、人体がするには不自然極まりない動きで起き上がると、ゆっくりと歩みを進める。
「ああもう、残った方が危ない系だったか。もういいや、倒すよ!」
赤い非常灯の下、受付のデスク上に乱雑に置かれていたピストルを拝借すると、素早くゾンビを狙う。
射撃には大分向いていない暗さと距離であったが、そこは武装神姫の面目躍如。
放たれた弾丸は暗いシルエットでしかなかったゾンビの頭を撃ち抜いた。
ゾンビでもなんでも大体のものは頭を撃ち抜けば動かなくなる。
「はぁ……。アイムの悲鳴的なものもないし、外がゾンビでいっぱい! じゃなくて中がゾンビでいっぱいのパターンだったか。
……ボクも外でよっと」
目の前のゾンビを倒すや否や不自然に煙を上げて壊れたピストルを投げ捨てると、クイルは警察署の出口へと向かった。
────────────────────────────────────────
~~病院~~
最後の参加者であるトレーニングウェアを着た戦闘機型、“飛鳥さん”が目覚めたのは非常灯で不気味に照らされた病院だ。
廊下のソファで横向きに寝転んでいた状態から始まったが、むくりと身体を起こし、周囲の状況を分析する。
「病院スタートですか。病院なら、まあ開幕リタイアはないですね。この手の映画の鉄則です」
したり顔で頷くと、ソファからそっと腰をあげる。
「まあ、場所柄的に」
深い闇に閉ざされた廊下の奥から、自身の背後の部屋から、天井から。
何かを叩くような音や重いモノを引きずる音、そしてうめき声の数々が聞こえてくる。
「ゾンビとの遭遇は避けられませんけどねーー」
猛ダッシュ。幸いここは一階だったようだ。飛鳥さんは一目散に病院から逃げ出した。
「あ、ワクチンのひとつやふたつあったかもしれませんね」
ぴたっと足を止め、振り返るが。
「あっ、これ無理ですね。そっとしておきます」
出ていったばかりの正面扉に無数のゾンビの手が張り付いているのをみて早々に諦めるのであった。
敷地内から出て、猛ダッシュ。
月明りに照らされた街の中に繰り出した。
「ていうか、普通に怖いんですけどコレ」