塵芥想 -4ページ目

塵芥想

ここは私の日々の想いの捨て場所です。
会社のHPは以下です
https://mantendo-ltd.com/

シャンデリアの下シャレオツな赤い壁

それぞれのドリンク飲み放題

こぎれいでおしゃれな雰囲気

 

こんな中でラーメンを食べることになる私です。

味覚は保守的なもので

そこいらのちょっと気の利いた味わい

なのに安くてうまい。

お気軽の食べられる

庶民の味…

 

それが私のラーメンのうまさの基準だ。

シャレオツではないのです…

ラーメンに欲しいのは。

新橋の賑やかな一角に登場したラーメン屋さん。

故佐野実さんのお弟子さんの店らしい。

おいしかったけどね。

1480円

 

業界を席巻した佐野実も

晩年には

「究極の一杯はシンプルでうまい醤油ラーメン」

といっていた。

自分のTVでの役割を知っていたのだろう

そう感じて共感した。

 

確かにおいしいラーメンだったが、

私の好きなラーメンではなかった。

無我夢中で過ごしてきた数年。

休みをとることもできず、

振り回されてきたような毎日だったけれど

体調を崩して自分のペースで過ごす大切さをかみしめた。

 

無理をしてもいけないのだ。

自分を見失ってはいけない。

あきらめる気持ちが芽生えたのか。

それとも仕事に慣れてきた。

ここのところ少し時間の流れが

速くなってきたような気がする。

 

いつになってもやてこない入金日。

すぐに来てしまう支払日。

混乱の中で長い一日を過ごす。

そういうことが少なくなったような気がしている。

 

いいことならいいのだけれど。

今月お半分すぎた。

小泉進次郎氏がNHK解説委員に反論「永田町の論理に毒されている」論戦なしの早期解散現実味問われ (msn.com)

 

これ完全な国会軽視じゃないか。

独裁的で言論の府を軽視したやり方だ。

国会と行政府の長の関係を全く理解していない

権力の行使だけを考える愚かな発想だ。

 

自民党総裁選挙だけで十分というのはどんな思い上がりだろう。

永田町の悪い論理とは何だ?

馬鹿さ爆発!

朝方風など起きて

爽やかの気持ちになるので

もう夏は終わったと感じるようになったが、

もう9月も半ばであることに気が付く。

 

暑さ寒さも彼岸までといいつつ

来週には彼岸に入る。

夜にひと汗かくようなことがあると

まだ真夏の気分になる。

熱帯夜が続いている気分だ。

疲れ切っているので寝つきがいいので

夜の寝苦しさから解放されている私だ。

 

明け方に気持ちよく寝られて

疲れを感じることはなくなった。

その分夏の疲れが出る時期だ。

気を抜くと体調を崩しそうだ。

気を付けなくてはいけない。

 

昼に外の用事に出ると

それ以上に夏場感を感じる。

彼岸を境に急に冷え込むのもまた寂しい。

 

そういう意味で残暑がとても厳しいのだということを感じる。

残暑というのは耐えていればそのうちなくなるはず

だからそういうはずで

いつまでも暑いと感じて困っているのは残暑とは言えない。

言い方を変えた方がいいのではと思ってしまう。

 

だから、

9月のこの時期でも暑さに耐えなくてはいけないのでしょう。

皆さん頑張りましょう。

 

賃金の上昇もないままに進む物価高

岸田政権の尻切れトンボ政策のおかげで

貧乏起業家の私はひどい目に遭っている。

労働者気楽に見えるほど痛めつけられる昨今だ。

 

目の前を労働者職が見慣れないほどの額の

金額が動いているが

すべて私のお金ではない。

 

そんな私だから

この物価高で庶民の暮らしを直撃する外食産業

の値段が気になっているわけだ。

 

貧乏生活で弁当持ちだったのに

コメが手に入らなくて弁当すら作れない毎日

入金される多額の金額はみな支払いに消えていく。

 

おいしい庶民の昼めしもきっと

高騰の物価に影響されているのだろう

気になって飯を食いに出る私なのだ。

 

さて西早稲田の「キッチン南国」

学生なじみの「キッチン南海」

本店は神保町いまだに明治時代大学

という古風で頭の緩そう大学のそばにある。

この学生の味を引き継いだ「キッチン南国」

リニューアルオープンして半年余り。

その値段に直撃はないか

気になったが

チキンカツカレー850円は変らず。

 

少しほっとするのであった…

ゴトウ日の支払いを終えて

一息だが、

次の支払日にどうしたらいいか目星が大変だ。

 

振込予定は十分なのだが、

いつの間にか癖になっていた

首の皮一枚の支払いにより

余裕のない資金繰りになっていることに気が付く。

 

運営にあたり展望を持っているのだが、

それに見合う売り上げが今一歩足りない。

 

収支はあっているのだが

あっているだけ。

余裕がない。

自転車操業というのはこういう事を言うのだろう。

まずい癖がついたものだ。

どこかが逆転しないと楽にはならない。

 

そのための手順は踏んでいるのに

その通りに事が運ばない。

売り上げ向上に手ごたえはあるけれど

具体的ではというわけではないのだ。

復活を狙うトランプが狙撃手の魔の手から逃れ

現職のバイデンが失速して候補を降りた。

これはどう考えてもトランプ有利だと考えるのが

日本人のいいところ…

のようで。

 

ハリスが支持率ではトランプをわずかだが

上回っているのだという。

TV討論はますます注目が集まるが

見る暇もないので余計な感想となる。

 

バイデン不利で候補差し替えなんてことで

巻き返しなんて大変だろうと考えてしまうのは

私だけなのかもしれない。

それだけ政党支持の気質が根強いのかもしれない。

アメリカ社会の一端を理解する機会になっている。

バイデンが候補者として情けなく見えたのでさし替えた。

そのため支持基盤がより強固になった。

毎度アメリカ人気質を考えるうえで

勉強になる大統領選挙だ。

 

どっっちが大統領になろうが

投票権もないので何とも言いにくいし、

専門家でもないのに偉そうなことを言うほどミーハーではない。

そこに行くと日本の与党の総裁選は

なんだかばかばかしいほど人気取りで

こちらも投票できないけど

候補者がずらずら並んであほみたいだ。

自党に注目を集めるだけの戦略でしかないように見える。

目立ちたがりが先々の地盤を固めるために

目立とうとしている。

本当の投票は何を目指しているのか

イメージ戦略しか浮かび上がらない。

 

あほらしいと思っていたら

最大野党も党首選をやっていることに気が付いた。

隋分影が薄いなア。

ちゃんと見とけよ。

毎朝7:00には仕事開始だ。

家を出るのは6:00過ぎ。

早起き体質はもう20年来。

こうなってから仕事の幅が広がった。

目が覚めて朝元気のあるうちに

仕事を始めた方が勢いがあっていい。

 

今の仕事を始めてから

慣れるのに時間がかかり

早く起きても早く出ても

早く仕事を始める機会が作れなかった。

その傾向がやっとなくなりつつある。

 

朝早く出社してしまうのは

家と仕事場が東西の関係にあるからだ。

東に向かって出社するので

バイクでいくと朝日が目に入って走りにくい。

これにあさの渋滞が絡むととても面倒な気分になる。

だから渋滞の始まらない時間に仕事場につきたい。

 

実は単純な理由なのだが、

さて今日も面戸なことばかりだが、

頑張るか。

 

残暑厳しい折、

しばらくご無沙汰になていた

千葉県一周ツアーを試みることになった。

 

今回は都内から犬吠埼

九十九里を走り下って

太東崎まで海に囲まれた千葉県の外房を

走る旅行に出かけた。

 

今回は車での旅で

バイクでの千葉県一周

とは少し趣が違った。

 

コロナ禍でツーリングもままならなかった時期

実に久しぶりに

千葉の海岸を行くことになった。

 

まずは犬吠埼へ向かう。

京葉道路から成田を抜け

佐原から銚子に向かう。

周辺の田んぼはきれいに刈り入れが済んでいた。

例年より早い稲刈りは

コメ不足のせいだろう。

 

私の周辺のスーパーも

千葉県産のコメが最初に届いた。

犬吠埼の灯台で太平洋を眺めつつ

なぜか食べたのがパンだった。

海の近くで磯料理としゃれこもうと持ったのだが

なぜかひねくれものの癖が出て

変ったものを買い込むことになった。

 

「焼きたて」のうたい文句に引き寄せられた。

確かにおいしい昼食となった。

 

50年来時折顔を出す灯台。

周辺は畑ばかりだったこの地域にも

そうだカケ学園の問題の大学ができたのもこのあたりだ…

大根畑を買い込んで無理やり大学を作って

しまいには公立大学として千葉県に払い下げる?

少し話がうますぎないか?

などと妙な時事ネタを思い出している。

 

潮騒を聞きつつ展望のいい観光地となっている

犬吠埼を後にする。

 

途中九十九里の浜に出て海を見る。

まだ夏の気配の残る地域には

海水浴を惜しむように集まる人が影が

 

一息ついて太東崎へ

私が一番好きな海の景色

外房が一望のもとに見渡せる。

九十九里を縦断して

千葉の旅を終えた。

先日授業中あることに気が付いた。

「マスクを忘れた」

コロナ禍以降いつの間にか習慣になっているマスク。

合気道の稽古でも

仕事中でも

日常生活でも

随分その機会は減った。

 

一時に比べれば本当にその機会は減った。

元々マスクなどするのは大嫌いだった。

面倒がるタイプの代表のような存在だった。

コロナかでも最後まで抵抗しているような所があったと記憶する。

 

社会的圧力に弱いのは性分だが

一挙に飲み込まれ

マスク生活に親しんだ。

耳の裏が痛くなっても我慢した。

 

合気道の稽古でもしていたし

仕事中も常識を問われるほどだった。

そんな中、割と積極的に付けていたのは

授業の時だ。

子どものことを考えるのが仕事の最初だ。

そのせいかいまだにマスクをしている。

マスクをしないで仕事をしたら

裸で授業をしているように感じるほど

居心地が悪かった。

週間とはそういうものか。

 

今でもマスクで授業だ

これからも日常化しそうだな。。