塵芥想

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広島から大阪に移動して

仕事を済ますことになる。

大阪は2回目。

実に20年ぶりとなる。

前回は仕事で引き回されてどこがどこだかわからないほどで

仕事のおわりに串揚げを食べて

なるほど東京とは違うと

感じた程度だった。

 

今回も仕事になるわけだが

一人であちこち伺いうわけで

どこで何をするのかきちんと理解していないと

大変なことになるのだった。

 

基本的に大阪駅周辺

御堂筋線でなんばで編集会議

後は書店へのあいさつ回りである。

 

時間を見つけて数少ない関西の知人と会う機会を設け

大阪城でも見て

それらしい気分になっておこうかと考えた。

大阪城を始めてみた。

大阪ほどの大きな都市に

天守閣を備えた城がある。

これはとても壮観だ。

 

東京にとお城といえば皇居。

千代田のお城に天守閣はない。

立派な建物には違いないが

観光資源とはいいがたい。

大阪城は周囲の高層ビルからも

隔絶された特別な空間として存在するように見えた。

大阪のビルは

都内の先を競うような高層なものではなく

腰の据わったものが多いように感じた。

 

江藤拓農水相が失言で辞職した。

自民の大臣は毎度こういう形で辞職する。

内々の集まりのようなところで

気を抜くんだか知らないけど

「ここだけの話」という論調で

非常識な発言をして怒られる。

 

自民党という組織に守られて

代々議員をやって

ろくに勉強もしないので

内向きのところでうまく取り繕って

大きなミスなくやり過ごしていれば

それでなんとなくうまくいく。

 

世襲議員ていうのはそういう風に見える。

徳川幕府の組織がだめになっていったように

自分のことだけ考えていると

組織はダメになっていく。

そういうものだと思う。

 

その後任に小泉進次郎だって

受け狙いだね。

支持率があがったりしたら

ばかばかしいよ。

広島の平和通りは公園のように広々とした通りだ。

駐輪場も広くバイク乗りにやさし印象だ。

こんな広々とした駐輪場がある都市はいまだに知らない。

感心しつつ通り過ぎることになる。

道路も広くのびやかで

歩行者も安心して歩ける。

貸自転車も充実して

訪れるのもに使いやすさを感じさせる。

そんな広島2晩めは

居酒屋に行くことにした。

前日見つけた「広島菜」

ここでも頼んでみた。

野沢菜風の漬物だが

茎が少なく葉が多いので

食べやすい。

連日頂いても全く飽きない。

 

週末広島から大阪と回る出張に出かけた。

広島では広島商業高校と広陵高校

高校野球で広島県内のライバルと称される

両高の監督にお話を伺うことができた。

 

特に大卒の新人二人がパリーグの新人王を争う

広陵高校では中井監督のお話が心に残った。

ともに名門を率いる監督だが、

私には野球という競技を通じて人格教育を行う

高校教師という面を見せつけられるような思いで

目からうろこだった。

 

私は入試問題を作る関係から

国語教師の研究会等で議論を交わしていた。

単純に「作問」という点で研鑽を続けつつも、

養育の本文からは外れない

そういう配慮をしていた自分を思い出していた。

少し違った感想かも知れないかったが

生徒たちへの目配せやら対応に共感していた。

これでよかったのかなんて感じつつ聞き入ることになった。

お好み焼きは

カープファンで知られた高田馬場のお好み焼き屋に出入りしていので

本場広島では食べたことがなかった。

 

高田馬場では

あんなまぜこぜして品がないとのことで

大阪風を食べる機会を失っていた。

地元では名店とされるお店でに入ると

注文までに20分以上かかるとのこと

そういうものかと思いつつ

「牡蠣」と「広島菜」を注文する

この広島菜がとても気にいた。

野沢菜の触感だが

葉の部分が多く茎も筋が少ない。

とても食べやすいので大変気に入った。

なぜもっと知られないかと思うほどだった。

 

牡蠣はもちろんぷりぷりでクリーミー

こちらもおいしくて感心する。

しみじみ食べつつ

まだ上がらないお好み焼に

とん平焼きを追加

鉄板の上でじっくり焼き上げる感触は

独特だった。

とん平役がこれほどとはと横目で見る

お好み焼きは

広島独特の重ね焼きも

それぞれを丁寧に焼き上げたうえで

おたふくソーズをしみこませんて

丁寧に焼き上げている。

そんな丁寧な焼き方は初めて見た。

長くかけて焼き上げたお好み焼きは

しっかり味が染みて格別だった。

山本浩二のなじみのお店とのこと

これはオールスターのMVPの時の写真か。

王貞治氏に続き長嶋茂雄氏に歓迎される

山本浩二氏の現役時代。

これまた感慨深かった。

 

 

今ではプロでも珍しい「左投げ右打ち」 花巻東の大器に期待、過去にはレジェンドも ベースボール千一夜

 

物好きな奴もいるもんだ。

左投げ右打ちなんて

右投げ左打ちのメリットを考えたら

競技者として生き残る確率は極めて低い。

 

なぜそこまでこだわるかというと

私は元々左利きでなのに右投げで野球を覚えた口で

早く肩を壊して左投げに直した。

この時打ち方は右打ちだったので

左投げ右打ちという時期が少しあった。

 

右肩が完全に壊れて

左投げにした。

そこまで直したなら

打ち方も左打ちにしてしまおう。

右でも左での打てるように考えてもいいと思った。

 

そういう風に直したほうが競技者として生き残りやすい。

現にプロ野球選手で左投げ右打ち選手なんて見たことがないと、

思っていたらば、

そういう事ではなかったようだ。

まず絶句。

 

左投げ右打ちは右投げ左打ちが

右手のみに特化したスタイルであるように

左投げ右打ちは

左手一本でプレーするスタイル。

 

理論的に存在しても生き残るやつはいないのではないか。

長く感じていた右利き社会の野球の世界では

生き残れないのではないかと思っていた。

いるんだよなア。

しかも名選手にも。

気が付かなかった私が思い込みの世界の住人だったとは。

 

自宅トイレに肛門洗浄機がついて

以来それが当たり前になっていた。

「お尻の穴も洗ってほしい」と

コピーされて洗浄機からもう

30年以上の時が流れた。

 

この肛門清浄機の普及から

日本のトイレは和式から洋式に一挙に

衣替えを進めることになったと感じている。

日本人が考えた肛門洗浄機で

和式トイレが追いやられた。

考えてみれば

とても皮肉な構図だ。

 

公立学校では和式トイレの

教育的効果を考えて現存させることにしているようだ。

しかし、

いつの間にか和式トイレは使わなくなっていた。

私もつい先日実に久しぶりに和式トイレを使ったのだ。

 

さて尾籠な話になる…

洋式トイレの普及時は

「なんだこんなもの」という違和感もあった。

排便時に楽をするとは何事だ。

「男は黙ってしゃがみうんこ」

と言いたげな旧来の因習を守る気質は日本人にもあった。

 

ところがこの久しぶりの和式便器の仕様で

私の便器への思いが固まった。

和式便器は使いにくい!

洋式便器はとても合理的なのだ。

 

和式便器は長く糞尿が肥料として使われた

農耕文化の名残でしかないのだろう。

かめ落とし式で

田畑にまくためのツボにするには

和式便器は最適だった。

糞尿をツボに落とすための和式なのだ。

 

糞尿は大気に触れるとその臭気を周囲にまき散らす

「これは糞尿だ近くによるな」と言いたげな悪臭。

ところが

水洗トイレの場合

水に浸すと臭気が拡散されない。

これは洋式便器の臭気を抑える作用につながる。

和式便器はいったんひった糞尿を自ら確認するかの如く

目の前に留め置く。

このため

糞尿のにおいまで嗅ぎ試すことになる。

健康のためには必要なのかもしれないが

これを朝の公衆便所などでされた日には

ありがたくもない他人様の糞尿かで

嗅がされることになる。

しかもトイレの個室にこもるその匂い

なんとも耐え難い…

 

やはり便器は洋式しみじみそう思った。

決して

私の前に使用人の糞尿をしこたま嗅がされてしまった

ことへの恨みからではないのである。

1月に4回しか稽古ができなくて

土日だけの稽古にしようと思った。

平日仕事に追われて稽古に行けないストレスより

土日に集中して稽古に行った方が

気持ちはとても楽だった。

 

2月3月そして4月も

土日だけに稽古をすることになった。

月4回ということはなく

7回から8回の稽古になった。

それはそれで充実した気分で稽古に臨めたが

週末だけだと物足りなかった。

 

 

5月の連休明けに平日の稽古を復活させた。

週に3回は稽古に行っていないと物足りない気分だ。

日常の生活の中に合気道がないのは

物足りないのだ。

 

4月末から連休明けまで10日余り稽古がなく

久しぶりの時は懐かしい気分になった。

それから仕事終わりに

最後の稽古になってもできるだけ稽古するようにしたら

少し筋肉痛になった。

大殿筋や大胸筋のような大きな筋肉ではなく

腰回りや腿の付け根のようなインナーマッスルだ。

大きな筋肉を使わないで合気道をできる様になった証だろうか

少しうれしかった。

 

週3回くらいのペースではまだスタミナが戻っていようだ。

このくらいから少しづつペースをおあげていこうと思う。

そろそろ昇段を視野に入れた稽古を準備したい。

 

大地の5億年

せめぎあう土と生き物たち

藤井一至著

山と渓谷社

本体1100円

税込み1210円

 

ブルーバックスの

「土と生命の46億年史」は

地球史まで視点を広げた土壌学の本だった。

衝撃は大きくて

藤井先生の本を読みたくて探し回ることになった。

 

「土壌学」の大事さを記したという点では

こちらの方が先だろう。

46億年史は2024年12月刊

5億年史は2022年7月刊

より「土壌学」普及させようとする

普及本としては先輩だ。

 

農学の一種としての土壌学を紹介しようという意図は

この本の方がはるかに意気込みが強い。

46億年史は科学者としての土壌学の視点を

前面に出しているといえるだろう。

 

土壌学か…

物理学や地質学がサイエンスの入り口に感じていた浅学。

深い反省をしつつ

ゆっくり読みたい。

専門的で難解な部分を含め

ゆっくり読んでできるだけ理解したい。

そう思わせる本だ。

 

この知的活動の幸福感。

ありがたい限りだ。

しばらく前

このブログの始まりのころを見たことがあった。

毎日更新するようになって

15年近くなることに気が付く。

 

元から日記を記すのは好きだった。

というより不備の憂さを書き記す

としたほうが正しい気もする。

2010年の年末に書き記し始めたのが

始まりだった。

 

当時の私を振り返ると

かなりタイトな毎日だったことを思い出す。

離婚してうなだれていた時期だったようだ。

うまくいかなくなった時期にはじめ

離婚して記事が増え、

やがて毎日書くようになった。

 

だから

なんとなく物悲しい

ひねくれた感じが多くなったのかもしれない。

そう感じた時

このブログの仕事が一つ

終わったことに気が付いた。

 

5月の陽気に誘われて

大きく伸びた庭のトマト

ふと気が付くと

花が咲いている。

これは去年より育ちが早いようだ。

なんとなくうれしい。

 

狭い庭の小さな菜園だが

毎年違った様子を見せてくれる。