裁判の傍聴に行った | 塵芥想

塵芥想

ここは私の日々の想いの捨て場所です。
会社のHPは以下です
https://mantendo-ltd.com/

法学部出身で、裁判の原告(民事です)になったこともあるのに、裁判所の傍聴をしたことが無かった。
「傍聴は面白いよ」といわれて、そういえばそんなことしたこともなかったことに気がつく。
友人の弁護士が初めて法廷で証人尋問をするという時、
「尋問デビューなので見に来てよ」と誘われた!
「不謹慎ではないか?」
と怒ったことがあった…
そう思いません?
でも裁判は公開の場で、公平にやりとりするためのものです。
傍聴することはけしておかしなことでもなんでもない。
国民の正当な権利です!
国民がここ必死で争う裁判です。見届けてやらねばいけないのです。
というわけで、刑事事件に行くことにしました。
渋谷の殺害死体遺棄事件。
妻が夫を殺してばらばらにしたやつです。
東京高等裁判所102法廷
判決公判でした。
地裁の判断懲役15年に対して量刑不当を争ってました。
結果は控訴棄却、原審の通りでした。
被告は覚悟の上か法廷に登場せず。判決の読み上げが行われます。
せっかくだから出てくれば以降の心象も良かったろうに、ある程度予想の結果なのかもしれないと思ったのかもしれません。
人を殺してばらばらにして、死体をあちこちにおいてきただけだから、懲役15年はある程度温情を加えた判決だったはずだ。弁護側は、犯行時の精神状態と精神鑑定を持って対抗しようとしたようだ。
判決理由を聞いていると、たしかに原告の心情が異常に追い詰められたものであったことは間違いないようだ。犯行時の心情はさておき記憶していたことなどからも、病的でないことは十分推測できる。犯行の偽装工作をしたときの悲しい妻を演じる様子などからも、犯行時の判断能力はけして異常とはいえない感じだ。
「逮捕されて、ほっとした」という供述は生々しいが、それが本音と感じた。
憎くて殺してしまったけれど、後は後悔の念が先立って、どう取り繕うべきか逡巡していたのだろう。
控訴審で精神鑑定をし直しているようだけど、被告が耐えられなくなったようで、途中で終わりになっている。
控訴もしないで確定したもおかしいからということで弁護側から控訴を勧めた経緯があるのかもしれない。
被告にとってはむしろ地裁レベルで整理はついて、審理のやり直しは辛いだけだったのかもしれない。
状況や心理の過程まで見えてくる。わかりやすい、いい判決だったように思う。
傍聴席には被害者の両親が涙していた。
判決理由を聞きながら、それに目線を送る弁護士。
日常的とはけして言えない風景がある。

せっかくだからもう一つと思って午後に、神奈川県迷惑防止条例違反事件の第一回公判を見てやろうと思った。
痴漢だろう。高栽まで行くということは被告も本気だ。無罪の確信があるに違いない。これはおもしろそうだと思った。
痴漢は女性の立場をということでかなりずさんな
取り締まりをしていることが多いように思う。
「そんな程度で罪に問われたらたまらんぜ」という事件をよく聞く。
女性の権利保護のためとは言って、罪に問うならもう少しきちんとした証拠がないと捕まった人がかわいそうに感じることも多い。

そんな状況だから、裁判で争うようなケースの50%以上はえん罪なのではないかと私は思っている。
訴える方(検察)も必死だし、裁判官もむやみに無罪を乱発できないから。よほどのことがない限り無罪にしたくないという心理もあるはずだ。
こういうのを法的安定性といいますが…
高歳の第一回公判。どんな様子だろう…
45歳の原告、法廷で自己紹介しつつ、必死、恥ずかしそう(拘留はされていないようです)さてどうなる?

裁判長、曰く「量刑不当の争いですね」
「??????」罪を認めてるの?
何故高裁まで???
事件の詳細については争わないとのことですが…
どうやら痴漢ではなさそうですね。罰金20万ほどの事件の量刑不当なんでおかしい…
立ち小便?車の事故で看板を壊したとか…
とにかく頑張ってください。アナタは主張するべきです。