まず初めに。
このブログは、陰謀論でも都市伝説でもありません。
現在日本で起こっている事、起った事、又はこれから起こるであろう事を知ってほしいという気持ちのみで書いています。
中心的内容としては、国連敵国条項・サンフランシスコ講和条約・日米合同委員会・日米地位協定をベースに日本と言う国が崩壊に向かって突き進んでいると言う事を認識して頂ける様な内容です。
勿論、書いている事を信じようが信じまいが、それは個人で判断して頂ければ良いのです。
臭い匂いを元から絶つ!!
臭い匂いは元から絶たなきゃダメ!5の続きになります。
1960年に安保条約を改定する事になった時に、日本側が岸信介(日本首相)とマッカーサー司令官の甥に当たるマッカーサー氏との間に交渉がありました。
この2人は、安保改定交渉の非公式協議を1957年4月から開始しますが、その中で岸首相が述べた事がありました。
これは米解禁文書から明らかになったものなのですが、内容を読んでみて下さい。
「私(岸)は、安全保障と防衛の分野での日米間の協力関係強化に、日本国民の全面的支持をかちえるには、米国の軍事政策をめぐる日本国民の憂慮と日本がアメリカとの関係で従属的地位にあると彼らが考える不満を、一掃することがきわめて重要だと思う。」
「この目的のために、以下の政策や措置を提案する。」
「安保条約は、5年間有効とし、その後はどちらか一方からの通告によって終了されない限り、無期限に有効とすること」
つまりどういう事かと言うと、米国の軍事政策をめぐる日本国民の憂慮と、日本がアメリカとの関係で従属的地位にあると日本国民が考える不満をなくす為には、通告により5年経過後には、安保条約が廃棄出来るという道が提起されたのです。
これは後に10年間有効に変更されるのですが、通告により安保条約が廃棄可能という事に間違いはないのです。
こう読むと、まるで岸首相が、日本国民側に立っているような感じがしてしまいますが、それは全くの誤解でそんな事はなかったので念の為に書いておきます。
では、何故10年間期限をもって安保条約が廃棄出来るなどという提起が通ったのか?
日本国民の安保闘争という闘争・戦いがあったからです!!
安保条約は破棄しろ!
米軍基地をなくしてくれ!
日本国民の戦いがあった。
この国民の圧力に圧されて、このような提起になったのです。
何らかの体裁を整えないと、こんな国内情勢の中で安保改定は成り立たないと考え、「通告による廃棄」をアメリカ側に提起したのです。
そして、安保条約の第10条の規定が成立したのです。
つまり、国民が戦って勝ち取った条項なのです。
国民が、第10条の権利を行使したい!とアメリカ側に「通告」をすれば、安保はなくなるのです!
既に10年の固定期間はとっくに経過しているのですから、国民の意思さえまとまれば、いつでも無くす事が出来るのです。
ですから、私としては日本政府・岸首相・日米合同委員会やワクチン問題の厚生労働省や税金問題の財務省etc個別に文句や批判を展開するより、国民の戦いを再び起こして元を正す事が、日本が真の独立国になれる近道だと思います。
それには、我が国では15%位の人達がこれらの事に気が付き、常にピーチクパーチク声を枯らして個別にバラバラに問題提起をしていてもだめだと思うのです。
そこで年内を目標に「雲雀会」(ひばりかい)というものを立ち上げ挑戦をしようとしています。
ピーチクパーチク鳴いているのは雲雀(ひばり)の子なのですから、雲雀の子に声掛けをして集めて、それを1つの集団にして、気づきのない85%の人達の中の1%の人達でも良いから気づきの人を増やす活動をしたいのです。
私達15%の人達だけがワイワイガヤガヤ文句と批判をしていて、な~んにも変わらないと思うからです。
「へ~そんな事考えているんだぁ?でも雲雀の子の候補は?」この問いに対して、私なりの意見を次回に書かせて頂きます。
今回も記事を読んで頂き、ありがとうございます。
追記
1970年(昭和45)年 午前0時に日米安全保障条約が自動延長され、60年に改定された日米安保条約は、期限を10年とし締結国からの1年前の予告により一方的に破棄できると定めたにも関わらず、日本では1部の野党や労働組合などが破棄を主張したが、国民の支持を得る事は無かった!!!!
(ニュース等によるメディア戦略は、日米合同委員会率いる与党の味方)