まず初めに。

このブログは、陰謀論でも都市伝説でもありません。

現在日本で起こっている事、起った事、又はこれから起こるであろう事を知ってほしいという気持ちのみで書いています。

内容としては、国連敵国条項・サンフランシスコ講和条約・日米合同委員会・日米地位協定をベースに日本と言う国が崩壊に向かって突き進んでいると言う事を認識して頂ける様な内容です。

勿論、書いている事を信じようが信じまいが、それは個人で判断して頂ければ良いのです。

 

臭い匂いは元から絶たなきゃダメ!3

 

臭い匂いは元から絶たなきゃダメ!2でサンフランシスコ講和条約について触れました。

 

連合国側から日本に言い渡された結論ですが、和文訳では、第11条は「日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し」と訳されています。

 

英文ではJapan accepts the judgments of the International Military Tribunal for the Far Eastです。

 

英語が分かる方は、意味がすぐに分かると思いますが、日本が受け入れたのはjudgmentとなります。

 

Judgmentの意味ですが、一般の英和辞典には「裁判」と「判決」の両方の訳語が記載されているのですが、これを法律用語としてみた場合、judgmentは「裁判所の判決」となります。

 

つまり、日本が受け入れさせられたのは、「判決」なのです。

 

他にも似た様な和訳があるのですが、当時の日本人に判決の真意を伝えるような和訳ではないという事になります。

 

更に、第6条で、米軍駐留の継続を認める特別の規定がおかれ、それと連動して日米安保条約が結ばれたのですが、もともと安保条約と条約の内容は調印までずっと秘密にされていて、日本の全権代表団の中でも、事前に知っていたのは吉田茂首相一人だけでした。

 

サンフランシスコ条約が調印されたあと、米軍の下士官の集会所に行って、吉田茂首相とアチソン国務長官との間で調印されたのちに、安保条約は初めて公表されました。

 

安保条約そのものが、日本国民にはずっと秘匿されていて、調印後初めて公表されたものだったのです。

 

そして、その中には安保条約と一体型の「行政協定」という日本が屈辱的な案があります。

 

その「行政協定」は、安保条約が公表された時点でも公表されず、国会でのサンフランシスコ条約と日米安保条約の批准のさいにも厳重な秘密のもとにおかれ、1952年2月28日の調印の日にやっと、発表となりました。

 

何故「行政協定」の発表が1年も遅くなったのか?

 

何故隠したのか?

 

これが、驚くなかれ日本政府側が「行政協定」を隠したまま事を進めようとしたのです。

 

それほど日本政府は、「行政協定」を隠しておきたかったのです。

 

今日も記事を読んで頂き、ありがとうございます。